徒然草 ====== 第172段 若き時は血気内に余り心物に動きて情欲多し・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 若き時は、血気、内に余り、心、物に動きて、情欲多し。身を危ぶめて、砕けやすきこと、珠を走らしむるに似たり。 美麗を好みて、宝を費し、これを捨てて、苔の袂(たもと)にやつれ、勇める心盛りにして、ものと争ひ、心に恥ぢうらやみ、好む所、日々に定まらず。色にふけり、情けにめで、行ひをいさぎよくして、百年(ももとせ)の身を誤り、命を失へるためし願はしくして、身の全(また)く久しからんことをば思はず。好ける方(かた)に心ひきて、永き世語りともなる。身を誤(あやま)つことは、若き時のしわざなり。 老いぬる人は、精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動く所なし。心おのづから静かなれば、無益(むやく)のわざをなさず。身を助けて愁へなく、人のわづらひなからんことを思ふ。老いて智の若き時にまされるころ、若くして、形の老いたるにまされるがごとし。 ===== 翻刻 ===== わかき時は血気うちにあまり。心物にうご きて情欲おほし。身をあやぶめて くだけやすき事。珠を走らしむるに似 たり。美麗をこのみて宝をついやし。/k2-27l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0027.jpg 是をすてて。苔の袂にやつれ。いさめる心 さかりにして。物とあらそひ。心に恥 うらやみ。このむ所。日々にさだまらず。色 にふけり情にめで。行をいさぎよく して。百年の身を誤り。命を失へるた めし。ねがはしくして。身のまたく 久しからん事をば思はず。すけるかた に心ひきて。ながき世がたりともなる身 をあやまつことは。若き時のしわざ也。老 ぬる人は精神おとろへ。あはくをろそか/k2-28r にして。感じうごく所なし。心をの づからしづかなれば。無益のわざをなさ ず。身をたすけて愁なく。人のわづらひ なからん事をおもふ。老て智のわかき 時にまされる事。わかくして。かたち の。老たるにまされるが如し/k2-28l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0028.jpg