徒然草 ====== 第10段 家居のつきづきしくあらまほしきこそ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮(かり)の宿りとは思へど、興あるものなれ。 良き人の、のどやかに住なしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きららかならねど、木立(こだち)もの古(ふ)りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)・透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚(むかしおぼ)えて、やすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。 多くの匠(たくみ)の、心を尽して磨き立て、唐の大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざい)の草木まで、心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。「さてもやは、長らへ住むべき。また、時のまの煙(けぶり)ともなりなん」とぞ、うち見るより思はるる。おほかたは、家居にこそ、ことざまは推し量らるれ。 後徳大寺大臣((藤原実定))の、「寝殿に鳶居させじ」とて、縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶の居たらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ」とて、その後(のち)は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮((亀山天皇皇子性恵法親王))のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例(ためし)思ひ出でられ侍りしに、まことや、「烏のむれ居て、池の蛙を捕りければ、御覧じ悲しませ給ひてなん」と人の語りしこそ、「さては、いみじくこそ」と覚えしか。 徳大寺にも、いかなるゆゑか侍りけん。 ===== 翻刻 ===== 家居のつきづきしくあらまほし きこそかりのやどりとはおもへど。興有 物なれ。よき人の。のどやかに住なし たる所は。さし入たる月の色も。一きは しみじみと見ゆるぞかし。いまめかし くきららかならねど。木だち物ふりて。 わざとならぬ庭の草も心あるさまに。 すのこすいかいのたよりおかしく。うち ある調度もむかし覚えてやすらか なるこそ心にくしと見ゆれ。おおくの/w1-9r たくみの心をつくしてみがきたて。唐 の大和のめづらしくえならぬ調度ど もならべをき。前栽の草木まで心の ままならず作りなせるは。見るめもくる しくいとわびし。さてもやはながらへ 住べき。又時のまの烟ともなりなんとぞ うち見るよりおもはるる。大方は家居に こそことさまはをしはからるれ。後 徳大寺大臣の寝殿に鳶ゐさせじ とて縄をはられたりけるを西行か見/w1-9l http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0001/he10_00934_0001_p0009.jpg て。鳶のゐたらんは何かはくるしかる べき。此殿の御心さばかりにこそとてそのの ちはまいらざりけると聞侍るに。綾小路 宮のおはします小坂どのの棟にいつぞ や縄をひかれたりしかば。かのためし 思ひいでられ侍しに。誠や烏のむれ ゐて池のかへるをとりければ。御覧じか なしませ給てなんと人のかたりし こそ。さてはいみじくこそと覚えしか。 徳大寺にもいかなるゆへか侍りけん/w1-10r http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0001/he10_00934_0001_p0010.jpg