とはずがたり ====== 巻5 20 御果ての日にもなりぬれば深草の御墓へ参りて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-19|<>]] 御果ての日((後深草院の命日。))にもなりぬれば、深草の御墓へ参りて、伏見殿の御所へ参りたれば、御仏事始まりたり。石泉(しやくぜん)の僧正((忠源))御導師にて、院((伏見院))の御方の御仏事あり。昔の御手をひるがへして、御みづからあそばされける御経といふことを聞き奉りしにも、「一つ御思ひにや」と、かたじけなきことの思えさせおはしまして、いと悲し。次に遊義門院((姈子内親王))の御布施とて、憲基法印の弟(おとと)、御導師にて、それも御手の裏にと聞こえし御経こそ、あまたの御ことの中に、耳に立ち侍りしか。 悲しさも今日閉ぢむべき心地して、さしも暑く侍りし日影も、いと苦しからず覚えて、むなしき庭に残りゐて候ひしかども、御仏事果てしかば、還御いしいしとひしめき侍りしかば、誰(たれ)にかこつべき心地もせで、   いつとなく乾く間もなき袂(たもと)かな涙も今日を果てとこそ聞け 持明院御所((伏見院))・新院((後伏見院))、御聴聞所に渡らせおはします。御透影(すきかげ)見えさせおはしまししに、持明院殿は御色((「御色」は底本「御宮」。))の御直衣、ことに黒く見えさせおはしまししも、「今日を限りにや」と悲しく思え給ひて、また院御幸ならせおはしまして、一つ御聴聞所へ入らせおはしますを見参らせるにも、「御後(あと)まで御栄え久しく、ゆゆしかりける御事かな」と思えさせおはします。 [[towazu5-19|<>]] ===== 翻刻 ===== 御はての日にもなりぬれは深草の御はかへまいりて伏見殿の 御所へまいりたれは御仏事はしまりたりしやくせんの 僧正御導師にて院の御かたの御仏事ありむかしの 御手をひるかへして御身つからあそはされける御経と いふことをききたてまつりしにもひとつ御おもひにやとかた しけなきことのおほえさせおはしましていとかなしつき にゆうき門院の御ふせとてけんきほうゐんのおとと 御たうしにてそれも御てのうらにときこえし御経こそ あまたの御ことの中にみみにたち侍しかかなしさもけふ とちむへき心ちしてさしもあつく侍し日影もいと/s230l k5-45 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/230 くるしからすおほえてむなしき庭にのこりゐて候しかとも 御仏事はてしかはくわんきよいしいしとひしめき侍しかは たれにかこつへき心ちもせて    いつとなくかはくまもなき袂哉涙もけふをはてとこそきけ 持明院御所新院御ちやうもん所にわたらせおはします御すき かけみえさせおはしまししに持明院殿は御宮の御なをし ことにくろく見えさせおはしまししもけふをかきりにやと かなしくおほえ給て又院御幸ならせおはしましてひとつ 御ちやうもん所へいらせおはしますを見まいらせるにも御あと まて御さかへひさしくゆゆしかりける御事かなとおほえ させおはしますこの程よりや又法皇御なやみといふ事/s231r k5-46 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/231 [[towazu5-19|<>]]