とはずがたり ====== 巻5 15 さても大集経今二十巻いまだ書き奉らぬをいかがしてこの御百日の中に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-14|<>]] さても、「大集経、今二十巻いまだ書き奉らぬを(([[towazu5-05|5-05]]参照。))、いかがして、この御百日の中に」と思へども、身の上の衣なければ、これを脱ぐにも及ばず、命を継ぐばかりのこと持たざれば、「これを去りて」とも思ひ立たず。 思ふばかりなく歎きゐたるに、わが二人の親の形見に持つ、母におくれける折、「これに取らせよ」とて、平手箱(ひらてばこ)の、鴛鴦(をし)の丸(まろ)を蒔きて、具足・鏡まで同じ紋にてし入れたりしと、また梨地に仙禽菱(せんきびし)を高蒔(たかまき)に蒔きたる硯蓋(すずりぶた)の、中(なか)には、「嘉辰令月」と手づから故大納言((作者父、久我雅忠))の文字を書きて、金(かね)にて彫らせたりし硯となり。「一期は尽くるとも、これをば失はじ」と思ひ、「今はの煙にも友にこそ」と思ひて、修行に出で立つ折も、心苦しき嬰児(みどりご)を跡に残す心地して人に預け、帰りては、まづ取り寄せて、二人の親に会ふ心地して、手箱は四十六年の年を隔て、硯は三十三年の年月を送る。名残いかでかおろかなるべきを、つくづくと案じ続くるに、「人の身に、命に過ぎたる宝、何かはあるべきを、君の御ためには捨つべきよしを思ひき。いはんや、有漏(うろ)の宝、伝ゆべき子もなきに似たり。わが宿願成就せましかば、むなしくこの形見は人の家の宝となるべかりき。しかじ、三宝に供養して、君((後深草院))の御菩提にも廻向し、二親(ふたおや)のためにも」など思ひなりて、これを取り出でて見るに、年月慣れし名残は、物言ひ笑ふことなかりしかども、いかでか悲しからざらむ。 折節、東(あづま)の方へよすが((「よすが」は底本「よする」。))さだめて行く人、「かかる物を尋ぬ」とて、三宝の御あはれみにや、思ふほどよりもいと多くに、人取らむと言ふ。思ひ立ちぬる宿願、成就しぬることは嬉しけれども、手箱をつかはすとて、   二親の形見と見つる玉櫛笥(たまくしげ)今日別れ行くことぞ悲しき [[towazu5-14|<>]] ===== 翻刻 ===== さても大集経いま廿巻いまたかきたてまつらぬをいかかして この御百日の中にとおもへとも身のうへの衣なけれはこれを ぬくにもをよはす命をつくはかりのこともたされはこれをさり てともおもひたたす思ふはかりなくなけきゐたるに我二人の おやのかたみにもつ母にをくれけるおりこれにとらせよとて ひらてはこのをしのまろをまきてくそく鏡まておなし もんにてし入たりしと又なし地にせんきひしをたかまきに/s225l k5-35 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/225 まきたるすすりふたのなかには嘉辰令月とてつからこ 大納言のもしをかきてかねにてほらせたりし硯となり 一こはつくるともこれをはうしなはしとおもひいまはの煙にも 友にこそとおもひて修行に出たつおりも心くるしきみとり 子を跡にのこす心ちして人にあつけかへりてはまつとり よせて二人のおやにあふ心ちして手箱は四十六ねんのとし をへたて硯は三十三年のとし月ををくる名残いかてかおろ かなるへきをつくつくとあんしつつくるに人の身に命に すきたるたから何かはあるへきを君の御ためにはすつへき よしをおもひきいはんやうろのたからつたゆへき子もな きににたり我しゆく願成就せましかはむなしくこの形見/s226r k5-36 は人の家のたからとなるへかりきしかし三ほうに供養し て君の御菩提にもゑかうし二親のためにもなとおもひなり てこれをとりいててみるにとし月なれし名残は物いひわらふ ことなかりしかともいかてかかなしからさらむおりふしあつまの かたへよするさためてゆく人かかる物をたつぬとて三宝の御 あはれみにやおもふ程よりもいとおほくに人とらむといふ思ひ たちぬるしゆく願成就しぬる事はうれしけれとも手箱を つかはすとて    ふたおやの形見とみつる玉くしけけふわかれ行ことそかなしき/s226l k5-37 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/226 [[towazu5-14|<>]]