とはずがたり ====== 巻5 11 十六日の昼つかたにやはや御こと切れ給ひぬといふ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-10|<>]] 十六日の昼つかたにや、「はや御こと切れ給ひぬ」といふ。思ひまうけたりつる心地ながら、今はと聞き果て参らせぬる心地はかこつ方なく、悲しさもあはれさも思ひやる方なくて、御所へ参りたれば、かたへには御修法の壇こぼちて出づる方もあり、あなたこなたに人は行き違(ちが)へども、しめじめとことさら音もなく、南殿(なんでん)の灯籠(「灯籠」は底本「ところ」))も消たれにけり。 春宮((富仁親王。後の花園天皇。後深草院の孫。))の行啓は、いまだ明かきほどにや、二条殿へ((「二条殿へ」は底本「二条とのゝ」。))なりぬれば、次第に人の気配もなくなりゆくに、初夜過ぐるほどに、六波羅((六波羅探題。南北二名いた。))御弔(とぶら)ひに参りたり。北((北条時範))は富小路面(おもて)に、人の家の軒に松明(たいまつ)灯させて並みゐたり。南((北条貞顕))は京極面の篝(かがり)の前に、床子(しやうじ)に尻かけて、手の者二行(にぎやう)に並みゐたる((「並みゐたる」は底本「なみゐたり」))さまなど、なほゆゆしく侍りき。 夜もやうやう更け行けども、帰らむ空も覚えねば、むなしき庭に一人ゐて、昔を思ひ継くれば、折々の御面影ただ今の心地して、何と申し尽すべき言の葉もなく、悲しくて、月を見れば、さやかに澄みのぼりて見えしかば、   隈(くま)もなき月さへつらき今宵かな曇らばいかに嬉しからまし 「釈尊入滅の昔は、日月も光を失ひ、心なき鳥・獣(けだもの)までも憂へたる色に沈みけるに」と、げにすずろに月に向ふながめさへつらく思えしこそ、「われながら、せめてのこと」と思ひ知られ侍りしか。 [[towazu5-10|<>]] ===== 翻刻 ===== やうに見まいらする十六日のひるつかたにやはや御こときれ/s220l k5-25 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/220 給ぬといふおもひまうけたりつる心ちなからいまはときき はてまいらせぬる心地はかこつかたなくかなしさもあはれさも おもひやるかたなくて御所へまいりたれはかたへには御修法 のたんこほちていつるかたもありあなたこなたに人は行ちかへ ともしめしめとことさらをともなくなんてんのところもけたれ にけり春宮の行啓はいまたあかきほとにや二条とののな りぬれはしたいに人の気はひもなくなりゆくに初夜すく る程に六はら御とふらひにまいりたり北は冨小路おもてに人の いゑの軒にたいまつともさせてなみゐたり南はきやうこく おもてのかかりのまへにしやうしにしりかけて手のもの 二きやうになみゐたりさまなとなをゆゆしく侍き夜もやうやう/s221r k5-26 ふけゆけともかへらむ空もおほえねはむなしき庭に ひとりゐてむかしをおもひつくれはおりおりの御おも影たた いまのここちして何と申つくすへきことの葉もなくかなしく て月をみれはさやかにすみのほりてみえしかは    くまもなき月さへつらきこよひかなくもらはいかにうれしからまし 尺尊入滅のむかしは日月もひかりをうしなひ心なきとり けた物まてもうれへたる色にしつみけるにとけにすすろに 月にむかふなかめさへつらくおほえしこそわれなからせめて の事とおもひしられ侍しか夜もあけぬれはたちかへりても/s221l k5-27 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/221 [[towazu5-10|<>]]