とはずがたり ====== 巻5 10 また御病の御やうも承るなど思ひ続けて西園寺へまかりて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-09|<>]] また、「御病(やまひ)の御やうも承る」など思ひ続けて、西園寺((北山第。西園寺実兼が隠棲。))へまかりて、「昔、御所ざまに侍りし者なり、ちと見参(げさむ)に入り侍らん」と案内(あんない)すれば、墨染の袂を嫌ふにや、きと申し入るる人もなし。せめてのことに文を書きて持ちたりしを、「見参に入れよ」と言ふだにも、きとは取り上ぐる人もなし。 夜更くるほどになりて、春王といふ侍(さぶらひ)一人出で来て、文取り上げぬ。「年の積りにや、きとも覚え侍らず。明後日(あさて)ばかり、必ず立ち寄れ((西園寺実兼の言葉を侍が取り付いだもの。))」と仰せらる。 何となく嬉しくて、十日の夜、また立ち寄りたれば、「『法皇御悩み、すでにておはします』とて、京へ出で給ひぬ」と言へば、今さらなる心地もかき暗す心地して、右近の馬場を過ぎ行くとても、北野・平野を伏し拝みても、「わが命に転じ代へ給へ」とぞ申し侍りし。「この願、もし成就して、われもし露と消えなば、御ゆゑかくなりぬとも知られ奉るまじきこそ」など、あはれに思ひ続けられて、   君ゆゑにわれ先立たばおのづから夢には見えよ跡の白露 昼は日暮し思ひ暮し、夜は夜もすがら歎き明かすほどに、十四日夜、また北山へ思ひ立ちて侍れば、今宵は入道殿((西園寺実兼))、出で会ひ給ひたる。昔のこと、何くれ仰せられて、「御悩みのさま、むげに頼みなくおはします」など語り給ふを聞けば、いかでかおろかに覚えさせ給はむ。今一度(いちど)いかがしてとや申すと思ひては、参りたりつれども、何とあるべしとも思えず侍るに、「仰せられ出だしたりしこと語りて、参れかし」と言はるるにつけても、袖 の涙も人目あやしければ、立ち帰り侍れば、鳥辺野のむなしき跡問ふ人、内野(うちの)には所もなく行き違(ちが)ふさま、「いつかわが身も」とあはれなり。   あだし野の草葉の露の跡問ふと行きかふ人もあはれいつまで 十五夜、二条京極より参りて、入道殿を尋ね申して、夢やうに見参らする。 [[towazu5-09|<>]] ===== 翻刻 ===== めす又御やまひの御やうもうけ給なとおもひつつけてさい 園寺へまかりてむかし御所さまに侍しものなりちとけさむに いり侍らんとあんないすれはすみ染の袂をきらふにやきと申 入る人もなしせめての事にふみをかきて持たりしを けさむに入よといふたにもきとはとりあくる人もなし 夜ふくる程になりて春王といふさふらひ一人出来て/s219l k5-23 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/219 ふみとりあけぬとしのつもりにやきともおほえ侍らすあさて はかりかならすたちよれとおほせらるなにとなくうれしくて 十日の夜またたちよりたれは法皇御なやみすてにてお はしますとて京へいて給ぬといへはいまさらなる心ちもかき くらす心ちして右近の馬場をすきゆくとても北野平野 をふしおかみてもわか命にてんしかへ給へとそ申侍しこの願 もし成就して我もし露ときえなは御ゆへかくなりぬとも しられたてまつるましきこそなとあはれに思ひつつけられて    君ゆへにわれさきたたはをのつから夢にはみえよ跡のしらつゆ 日るは日くらしおもひくらし夜はよもすからなけきあかす程に 十四日夜又北山へおもひたちて侍れはこよひは入道殿出あひ/s220r k5-24 給たるむかしの事なにくれおほせられて御なやみのさまむけ にたのみなくおはしますなとかたり給をきけはいかてかおろ かに覚させたまはむいま一といかかしてとや申すと思てはまいり たりつれとも何とあるへしともおほえす侍におほせられ いたしたりしことかたりてまいれかしといはるるにつけても袖 の涙も人めあやしけれはたちかへり侍れはとりへののむな しき跡とふ人うちのには所もなくゆきちかふさまいつかわか 身もとあはれなり    あたしのの草葉の露の跡とふと行かふ人もあはれいつまて 十五夜二条京極よりまいりて入道殿をたつね申てゆめ やうに見まいらする十六日のひるつかたにやはや御こときれ/s220l k5-25 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/220 [[towazu5-09|<>]]