とはずがたり ====== 巻5 9 御葬送は伏見殿の御所とて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu5-08|<>]] 御葬送は伏見殿の御所とて、「法皇((後深草院))の御方も遊義門院((姈子内親王))の御方も入らせおはしましぬ」と承れば、「御歎きもさこそ」と推し量り参らせしかども、伝へし風も跡絶え果てて後は、何として申し出づべき方もなければ、むなしく心に歎きて明かし暮らし侍りしほどに、同じ年水無月のころにや、法皇御悩みと聞こゆ。 御瘧(おこり)心地など申せば、人知れず、「『今や落ちさせおはしましぬ』と承る」と思ふほどに、「御わづらはしうならせおはします」とて、「閻魔天供(ゑんまてんぐ)とかや行なはるる」など承りしかば、ことがらもゆかしくて、参りて承りしかども、誰(たれ)に言問ひ申すべきやうもなければ、むなしくかへり侍るとて、   夢ならでいかでか知らんかくばかりわれのみ袖にかくる涙を 「御日瘧(ひおこり)にならせたまふ、いしいし」と申す、「御大事出で来べき」など申すを聞くに、思ひやる方もなく、今一度(ひとたび)この世ながらの御面影を見参らせずなりなんことの悲しさなど、思ひ寄る。 あまりに悲しくて、七月一日より八幡(やはた)((石清水八幡宮))にこもりて、武内((武内社))の御千度をして、このたび別(べち)の御事なからんことを申すに、五日の夢に、日蝕と言ひて、「あらはへ出でじ」と言ふ。((以下、底本、「本のまま。これより紙を切られて候ふ。おぼつかなし。紙の切れたる所より写す」と二行に分けて注記あり。))めす((この「めす」は注記の次の行に書かれている。))。 [[towazu5-08|<>]] ===== 翻刻 ===== 御葬そうはふしみとのの御所とて法皇の御方もゆうき 門院の御方もいらせおはしましぬとうけたまはれは御な けきもさこそとをしはかりまいらせしかともつたへしかせ も跡たえはてて後は何として申いつへきかたもなけれ/s218l k5-21 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/218 はむなしく心になけきてあかしくらし侍しほとにおなし年 みな月のころにや法皇(御)なやみときこゆ御をこり 心ちなと申せは人しれすいまやおちさせおはしまし ぬとうけたまるとおもふほとに御わつらはしうならせ おはしますとてゑんまてんくとかやをこなはるるなとうけ たまはりしかはことからもゆかしくてまいりてうけたま はりしかともたれに事とひ申へきやうもなけれは むなしくかへり侍とて    夢ならていかてかしらんかくはかりわれのみ袖にかくる涙を 御日をこりにならせたまふいしいしと申御大事いてくへき なと申すをきくにおもひやるかたもなくいま一たひ/s219r k5-22 この世なからの御おも影をみまいらせすなりなんことのかなし さなとおもひよるあまりにかなしくて七月一日より やはたにこもりてたけうちの御千度をしてこのたひ へちの御ことなからん事を申に五日の夢に日しよくと いひてあらはへいてしといふ(本のまま/これより紙をきられて候おほつかなし紙のきれたる所よりうつす めす又御やまひの御やうもうけ給なとおもひつつけてさい/s219l k5-23 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/219 [[towazu5-08|<>]]