とはずがたり ====== 巻4 30 さても思ひかけざりし男山の御ついでは・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-29|<>]] さても、思ひかけざりし男山の御ついで((石清水八幡宮で後深草院に会ったこと。[[towazu4-23|4-23]]参照。))は、この世の外(ほか)まで忘れ奉るべしとも思えぬに、一つゆかりある((「ゆかりある」は底本「ゆかりあり」。))人して、たひたび古き住処(すみか)をも御尋ねあれども、何と思ひ立つべきにてもなければ、あはれにかたじけなく思えさせおはしませども、むなしく月日を重ねて、またの年の長月のころにもなりぬ。 伏見の御所に御渡りのついで、おほかたも御心の静かにて、人知るべき便宜(びんぎ)ならぬよしをたびたび言はるれば、思ひそめ参らせし心悪(わろ)さは、げにとや思ひけん、忍びつつ下(しも)の御所の御あたりち近く参りぬ。 しるべせし人出で来て案内(あんない)するも、ことさらびたる心地してをかしけれども、出御(しゆつぎよ)待ち参らするほど、九体堂(くたいだう)の高欄に出でて見渡せば、世を宇治川の川波も、袖の湊(みなと)に寄る((『後撰和歌集』恋二 式子内親王「影なれて宿る月かな人知れずよるよる騒ぐ袖の湊に」・『伊勢物語』26段「思ほえず袖に涙のさわぐかな唐土舟の寄りしばかりに」。))心地して、「月ばかりこそ夜と見えしか((『金葉和歌集』秋 平忠盛「有明の月も明石の浦風に波ばかりこそよると見えしか」。))」と言ひけん旧事(ふること)まで思ひ続くるに、初夜過ぐるほどに出でさせおはしましたり。 隈なき月の影に、見しにもあらぬ御面影は、映るも曇る心地して、いまだ二葉にて明け暮れ御膝のもとにありし昔より、今はと思ひ果てし世のことまで、数々承る。出づるもわが旧事ながら、などかあはれも深からざらん。 「憂き世の中(なか)に住まん限りは、さすがに愁ふることのみこそあるらんに、などや、かくとも言はで、月日を過ぐす」など承るにも、「かくて世に経る恨みのほかは、何事か思ひ侍らん。その歎き、この思ひは、誰に愁へてかなぐさむべき」と思へども、申し表すべき言の葉ならねば、つくづくと承り((「承り」は底本「うけたまはる」))ゐたるに、音羽の山の鹿の音は、涙を勧め顔に聞こえ、即成院(そくじやうゐん)の暁の鐘は、明け行く空を知らせ顔なり。   鹿の音(ね)にまたうち添へて鐘の音(おと)の涙言問ふ暁の空 心の中(うち)ばかりにてやみ侍りぬ。 [[towazu4-29|<>]] ===== 翻刻 ===== なれはさまさまくやうして又京へのほり侍ぬさてもおもひかけさり しおとこ山の御ついてはこの世のほかまてわすれたてまつるへし ともおほえぬにひとつゆかりあり人してたひたひふるきすみか をも御たつねあれともなにとおもひたつへきにてもなけれは あはれにかたしけなくおほえさせをはしませともむなしく月日 をかさねて又のとしのなか月のころにもなりぬふしみの御 所に御わたりのついて大かたも御心のしつかにて人しるへき ひんきならぬよしをたひたひいはるれはおもひそめまいらせし 心わろさはけにとや思けんしのひつつしもの御所の御あたりち/s197l k4-63 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/197 かくまいりぬしるへせし人いてきてあんないするもことさらひ たる心ちしてをかしけれともしゆつきよまちまいらするほと九 たいたうのかうらんにいててみわたせは世をうち河のかはなみも袖 のみなとによる心ちして月はかりこそ夜とみえしかといひけん ふることまておもひつつくるにしよやすくるほとにいてさせをは しましたりくまなき月のかけにみしにもあらぬ御おもかけは うつるもくもる心ちしていまた二葉にてあけくれ御ひさのもとに ありしむかしよりいまはと思はてし世のことまてかすかすうけたま はるいつるも我ふることなからなとかあはれもふかからさらんうき世の なかにすまんかきりはさすかにうれふることのみこそあるらん になとやかくともいはて月日をすくすなとうけたまはるにもかく/s198r k4-64 て世にふるうらみのほかはなにことかおもひ侍らんそのなけきこの おもひはたれにうれへてかなくさむへきとおもへとも申あらはすへき ことの葉ならねはつくつくとうけたまはるいたるにをとはの山のしかの ねは涙をすすめかほにきこえそく成院のあか月のかねはあけ行 空をしらせかほなり    鹿のねに又うちそへてかねのをとの涙こととふあか月の空 心のうちはかりにてやみ侍ぬさても夜もはしたなくあけ侍しかは/s198l k4-65 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/198 [[towazu4-29|<>]]