とはずがたり ====== 巻4 29 さのみあるべきならねば外宮へ帰り参りて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-28|<>]] さのみあるべきならねば、外宮へ帰り参りて、今は世の中も静まりぬれば、経の願をも果たしに、熱田の宮へ帰り参らんとするに、御名残も惜しければ、宮中に侍りて、   あり果てん身の行く末のしるべせよ憂き世の中を度会(わたらひ)の宮 暁立たんとする所へ、内宮の一の禰宜尚良((荒木田尚良))がもとより、「このほどの名残、思ひ出でられ侍り。九月の御斎会(ごさいゑ)に必ず参れ」など言ひたりしも、情けありしかば、   行く末も久しかるべき君か代にまた帰りこん長月のころ 「心の内の祝ひは人知り侍らじ。君をも、われをも、祝はれたる返りごとは、いかが申さざるべき」とて、夜中ばかりに絹(きぬ)を二巻包みて、「伊勢島((伊勢志摩))の土産(とさん)なり」とて、   神垣にまつも久しき契りかな千年(ちとせ)の秋の長月のころ その暁の出潮((「出潮」は底本「ちしを」。))の舟に乗りに、宵より大湊と((「大湊と」は底本「おほみなと○(と歟)」。○に「と歟」と傍書。))いふ所へまかりて、賤しき浦人が塩屋(しほや)のそばに((「そばに」は底本「そいに」。))旅寝したるにも、鵜のいる岩の間(はざま)、鯨の寄る磯なりと、思ふ人だに契りあらば」とこそ、古き言の葉にも言ひ置きたるに、「こは何事の身の行くへぞ。待つとてもまた憂き思ひの慰むにもあらず、越え行く山の末にも逢坂(あふさか)もなし」など思ひ続けて、また出でんとする暁、夜深く外宮の宮人常良((度会常良))がもとより、「本宮へつぐべき便り文を取り忘れたる、つかはす」とて、    たち帰る波路(なみぢ)と聞けば袖濡れてよそになるみの浦の名ぞ憂き 返し、    かねてよりよそのなるみの契りなれど帰る波には濡るる袖かな 熱田の宮には、造営のいしいしとて、ことしげかりけれども、宿願のさのみほど経るも本意(ほい)なければ、また道場したためなどして、華厳経の残り三千巻をこれにて書き奉りて、供養し侍りしに、導師などもはかばかしからぬ田舎法師なれば、何のあやめ知るべきにもあらねども、十羅刹の法楽(ほふらく)なれな、さまざま供養して、また京へ上り侍りぬ。 [[towazu4-28|<>]] ===== 翻刻 ===== さのみあるへきならねは外宮へかへりまいりていまはよの中も しつまりぬれはきやうのくはんをもはたしにあつたの宮へかへり まいらんとするに御なこりもおしけれは宮中に侍て    ありはてん身の行すゑのしるへせようき世の中をわたらひの宮/s196r k4-60 あか月たたんとする所へ内宮の一のねきひさよしかもとよりこのほ とのなこりおもひいてられ侍九月の御さいゑにかならすまいれな といひたりしもなさけありしかは    ゆくすゑもひさしかるへき君か代に又かへりこんなか月のころ 心のうちのいはひは人しり侍らし君をも我をもいははれたる返 ことはいかか申ささるへきとて夜中はかりにきぬを二まきつつ みて伊勢しまのとさんなりとて    神かきにまつもひさしきちきりかな千とせの秋のなか月の比 そのあか月のちしをのふねにのりによひよりおほみなと○(と歟)いふ所 へまかりていやしきうら人かしほやのそいにたひねしたるにも うのいるいはのはさまくしらのよるいそなりと思ふ人たにちきり/s196l k4-61 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/196 あらはとこそふるきことの葉にもいひをきたるにこはなにことの身 のゆくゑそまつとても又うき思のなくさむにもあらすこえゆく 山のすゑにもあふさかもなしなとおもひつつけて又いてんとす るあか月夜ふかく外宮の宮人つねよしかもとより本宮へつく へきたよりふみをとりわすれたるつかはすとて    たち返なみちときけは袖ぬれてよそになるみのうらのなそうき 返し    かねてよりよそのなるみのちきりなれとかへるなみにはぬるる袖かな あつたの宮にはさうゑいのいしいしとてことしけかりけれともし ゆくくはんのさのみほとふるもほいなけれは又たうちやうしたためなと してけこんきやうののこり三千くはんをこれにてかきたてまつり/s197r k4-62 てくやうし侍しにたうしなともはかはかしからぬゐ中ほうしなれ はなにのあやめしるへきにもあらねとも十羅せつのほうらく なれはさまさまくやうして又京へのほり侍ぬさてもおもひかけさり/s197l k4-63 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/197 [[towazu4-28|<>]]