とはずがたり ====== 巻4 17 とかく過ぐるほどに長月の十日余りのほどに都へ帰り上らんとするほどに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-16|<>]] とかく過ぐるほどに、長月の十日余りのほどに、都へ帰り上らんとするほどに、さきに慣れたる人々、面々に名残り惜しみなどせし中に、暁とての暮れ方、飯沼の左衛門尉((平資宗・飯沼資宗))、さまざまの物ども用意して、「いま一度、続歌(つぎうた)すべし」とて来たり。情(なさけ)もなほざりならず思えしかば、夜もすがら歌詠みなどするに、「涙川と申す川はいづくに侍るぞ」といふことを、さきの度尋ね申ししかども、知らぬよし申して侍りしを、夜もすがら遊びて、「明けば、まことに立ち給ふやは」と言へば、「止まるべき道ならず」と言ひしかば、帰るとて、盃(さかづき)すゑたる折敷に書き付けて行く。   我袖にありけるものを涙川しばし止まれと言はぬ契りに 「返しつかはしやする」など思ふほどに、また立ち帰り、旅の衣(ころも)など賜はせて、   着てだにも身をば放つな旅衣(たびごろも)さこそよそなる契りなりとも 鎌倉のほどは、常にかやうに寄り合ふとて、「あやしく、いかなる契りなどぞ」と申す人もあるなど聞きしも、取り添へ思ひ出でられて、返しに、   干さざりしその濡れ衣も今はいとど恋ひん涙に朽ちぬべきかな 都を急ぐとしはなけれども、さてしも留まるべきならねば、朝日とともに明け過ぎてこそ立ち侍りしか。 面々に宿々へ次第に輿にて送りなどして、ほどなく小夜(さや)の中山に至りぬ。西行が、「命なりけり((『新古今和歌集』羇旅 西行「年たけて又越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜中山」。))」と詠みける、思ひ出でられて、    越え行くも苦しかりけり命ありとまた問はましや小夜の中山 [[towazu4-16|<>]] ===== 翻刻 ===== 返して又都のかたへ返のほりなんと思てかまくらへかへりぬと かくすくるほとになか月の十日あまりのほとに宮こへ返りの ほらんとするほとにさきになれたる人々めんめんになこりおしみなと せし中にあか月とてのくれかたいいぬまのさへもんのせうさまさま の物ともよういしていま一とつき哥すへしとてきたりなさけ もなをさりならすおほえしかはよもすから哥よみなとするに なみた河と申河はいつくに侍そといふことをさきのたひたつね 申しかともしらぬよし申て侍しをよもすからあそひてあけは まことにたち給やはといへはとまるへきみちならすといひしかは かへるとてさか月すゑたるをしきにかきつけて行    我袖にありける物を涙川しはしとまれといはぬちきりに/s183r k4-34 返しつかはしやするなとおもふほとに又たちかへりたひのころも なとたまはせて    きてたにも身をははなつなたひ衣さこそよそなる契りなりとも かまくらのほとはつねにかやうによりあふとてあやしくいかなる契 なとそと申人もあるなとききしもとりそへおもひいてられて 返しに    ほささりしそのぬれ衣もいまはいとと恋ん涙にくちぬへきかな 都をいそくとしはなけれともさてしもととまるへきならねは あさ日とともにあけすきてこそたち侍しかめんめんにしゆくしゆくへし たいにこしにてをくりなとしてほとなくさやのなか山にいたり ぬさい行かいのちなりけりとよみけるおもひいてられて/s183l k4-35 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/183    こえゆくもくるしかりけりいのちありと又とはましやさやのなか山/s184r k4-36 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/184 [[towazu4-16|<>]]