とはずがたり ====== 巻4 10 さるほどにいくほどの日数も隔たらぬに鎌倉に事出で来べしとささやく・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu4-09|<>]] さるほどに、いくほどの日数も隔たらぬに、「鎌倉に事(こと)出で来べし」とささやく。「誰(た)が上ならむ」と言ふほどに、「将軍((惟康親王))、京へ上り給ふべし」と言ふほどこそあれ、「ただ今、御所を出で給ふ」と言ふを見れば、いとあやしげなる張輿(はりごし)を対(たい)の屋のつまへ寄す。丹後の二郎判官((二階堂行貞))と言ひしやらん、奉行して渡し奉る所へ、相模守((北条貞時))の使とて、平二郎左衛門(([[towazu4-09|4-9]]既出。平宗綱か。))出で来たり。その後、先例なりとて、「御輿、逆様に寄すべし」と言ふ。また、ここにはいまだ御輿にだに召さぬ先に、寝殿には小舎人と((「と」は底本「○(と歟)」。○に「と歟」と傍書。))いふ者の賤しげなるが、藁沓(わらうづ)履きながら上へ上りて、御簾引き落しなどするも、いと目も当てられず。 さるほどに、御輿出でさせ給ひぬれば、面々に女房たちは、輿などいふこともなく、物をうちかづくまでもなく、「御所はいづくへ入らせおはしましぬるぞ」など言ひて、泣く泣く出づるもあり。大名など、心寄せあると見ゆるは、若党など具せさせて、暮れ行くほどに送り奉るにやと見ゆるもあり。思ひ思ひ、心々に別れ((「別れ」は底本「わか(れ歟)」。「か」に「れ歟」と傍書。))行くありさまは、言はん方なし。 佐助の谷(やつ)といふ所へまづおはしまして、五日ばかりにて京へ御上りなれば、御出でのありさまも見参らせたくて、その御あたり近き所に推手(おして)の聖天(しやうてん)と申す霊仏(れいぶつ)おはしますへ参りて、聞き参らすれば、「御立ち、丑の時と時を取られたる」とて、すでに立たせおはします折節、宵より降る雨、ことさらそのほどとなりてはおびたたしく、風吹き添へて、「物など渡るにや」と覚ゆるさまなるに、時違(たが)へじとて出だし参らするに、御輿を筵(むしろ)といふ物にて包みたり。あさましく、目も当てられぬ御やうなり。 御輿寄せて召しぬと思ゆれども、何かとて、また庭にかきすゑ参らせて、ほど経れば、御鼻かみ給ふ。いと忍びたるものから、たびたび聞こゆるにぞ、御袖の涙も推し量られ侍りし。 さても、将軍と申すも、夷(えびす)などが((「などが」は底本「なりなとか」。))おのれと世をうち取りて、かくなりたるなどにてもおはしまさず。後嵯峨(のちのさがの)天王((後嵯峨天皇))第二の皇子と((底本「と」なし。))申すべきにや、後深草の御門には御歳とやらん、ほどやらん((「ほどやらん」は「月とやらん」の誤写とみる説もある。))、御まさりにて、まづ出で来給ひにしかば、十善の主(あるじ)にもなり給はば、これも位をもつぎ給ふべき御身なりしかども、母准后(じゆごう)((宗尊親王の母、平棟子。))の御ことゆゑ、かなはでやみ給ひしを、将軍にて下り給ひしかども、ただ人にてはおはしまさで、中務の親王と申し侍りしぞかし。その御あと((宗尊親王のあとの惟康親王))なれば、申すにや及ぶ。何となき御思ひ腹など申すことも((「申すことも」は底本「申とも」。))あれども、藤門執柄(とうもんしつぺい)の流れよりも出で給ひき。いづ方につけてか、少しもいるがせなるべき御ことにはおはしますと、思ひ続くるにも、まづ先立つものは涙なりけり。   五十鈴川同じ流れを忘れずはいかにあはれと神も見るらん 「御道のほども、さこそ露けき御ことにて侍らめ」と推し量られ奉りしに、御歌などいふことの一つも聞こえざりしぞ、前将軍((宗尊親王))の、「北野の雪のあさぼらけ((『増鏡』北野の雪「なほ頼む北野の雪の朝ぼらけ跡なきことにうづもるる身は」))」などあそばされたりし御後(あと)にと、いと口惜しかりし。 [[towazu4-09|<>]] ===== 翻刻 ===== にきさるほとにいくほとの日かすもへたたらぬにかまくらにことい てくへしとささやくたかうへならむといふほとに将くん京への/s173l k4-15 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/173 ほり給へしといふほとこそあれたたいま御所をいて給といふを みれはいとあやしけなるはりこしをたいの屋のつまへよすたん この二郎はうくわんといひしやらん奉行してわたしたて まつる所へさかみのかみのつかひとて平二郎さへもんいてきたり そののちせんれいなりとて御こしさかさまによすへしといふ 又ここにはいまた御こしにたにめさぬさきにしんてんにはことねり○(と歟) いふ物のいやしけなるかわらうつはきなからうへへのほりて みすひきおとしなとするもいとめもあてられすさるほとに 御こしいてさせ給ぬれはめんめんに女はうたちはこしなといふ こともなく物をうちかつくまてもなく御所はいつくへいらせお はしましぬるそなといひてなくなくいつるもあり大名なと/s174r k4-16 心よせあると見ゆるはわかたうなとくせさせてくれゆくほとに をくりたてまつるにやとみゆるもあり思々心々にわか(れ歟)行 ありさまはいはんかたなしさすけのやつといふ所へまつをはし まして五日はかりにて京へ御のほりなれは御いてのありさま も見まいらせたくてその御あたりちかき所にをしてのし やうてんと申れいふつをはしますへまいりてききまいら すれは御たちうしの時と時をとられたるとてすてにたたせお はしますをりふしよひよりふる雨ことさらそのほととなりて はをひたたしく風ふきそへて物なとわたるにやとおほゆ るさまなるに時たかへしとていたしまいらするに御こしをむ しろといふ物にてつつみたりあさましくめもあてられぬ御/s174l k4-17 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/174 やうなり御こしよせてめしぬとおほゆれともなにかとて 又にはにかきすへまいらせてほとふれは御はなかみ給いとし のひたる物からたひたひきこゆるにそ御袖のなみたもをしはか られ侍しさても将くんと申もゑひすなりなとかをのれと 世をうちとりてかくなりたるなとにてもおはしまさす のちのさかの天王第二の皇子申へきにや後ふかくさの御かと には御としとやらんほとやらん御まさりにてまついてき給に しかは十せむのあるしにもなりたまははこれも位をも つき給へき御身なりしかともははしゆこうの御ことゆへかな はてやみ給しを将くんにてくたり給しかともたた人にては おはしまさて中つかさのしん王と申侍しそかしその御あと/s175r k4-18 なれは申にやおよふなにとなき御おもひはらなと申ともあ れともたうもんしつへいのなかれよりもいて給きいつかたにつ けてかすこしもいるかせなるへき御ことにはをはします と思ひつつくるにもまつさきたつ物は涙なりけり    いすす川おなしなかれをわすれすはいかにあはれと神もみるらん 御みちのほともさこそ露けき御ことにて侍らめとをしは かられたてまつりしに御哥なといふことの一もきこえさりし そ前将くんの北のの雪のあさほらけなとあそはされたりし 御あとにといとくちおしかりしかかるほとに後ふかくさの院/s175l k4-19 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/175 [[towazu4-09|<>]]