とはずがたり ====== 巻3 20 やがてその日に御所へ入らせ給ふと聞きしほどに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-19|<>]] やがてその日に御所へ入らせ給ふ((主語は有明の月))と聞きしほどに、十八日よりにや、「世の中はやりたるかたはら病みの気おはします」とて、医師(くすし)召さるるなど聞きしほどに、「次第に御わづらはし」など申すを聞き参らせしほどに、思ふ方なき心地するに、二十一日にや、文あり。 「この世にて対面(たいめん)ありしを、限りとも思はざりしに、かかる病(やまひ)に取りこめられて、はかなくなりなん命よりも、思ひ置くことどもこそ罪深けれ。見しむば玉の夢も、いかなることにか」と書き書きて、奥に、   身はかくて思ひ消えなむ煙だにそなたの空になびきだにせば とあるを見る心地、いかでかおろかならむ。「げにありし暁(あかつき)を限りにや」と思ふも悲しければ、   思ひ消えむ煙の末をそれとだにながらへばこそ跡をだに見め 「ことしげき御中は、なかなかにや」とて、思ふほどの言の葉もさながら残し侍りしも、さすが、これを限りとは思はざりしほどに、十一月二十五日にや、「はかなくなり給ひぬ」と聞きしは、夢に夢見るよりもなほたどられ、すべて何と言ふべき方もなきぞ、われながら罪深き。 「『見はてぬ夢(([[towazu2-09|2-9]]参照))』とかこち給ひし、『悲しさ残る(([[towazu2-10|2-10]]参照))』とありし面影よりうち始め、憂かりしままの別れなりせば、かくは物は思はざらまし」と思ふに、今宵しも村雨うちそそきて、雲の気色さへただならねば、なべて((「なべて」は底本「なへは」))雲居もあはれに悲し。「そなたの空に」とありし御水茎は、むなしく箱の底に残り、ありしままの御移り香は、ただ手枕(たまくら)に名残り多く覚ゆれば、「まことの道に入りても、常の願ひなれば」と思ふさへ、人の物言ひも恐ろしければ、「亡き御影のあとまでも、よしなき名にや留め給はん」と思へば、それさへかなはぬぞ口惜しき。 [[towazu3-19|<>]] ===== 翻刻 ===== 心にきとおもひつつくるままなるなりやかてその日に御所へ いらせ給とききしほとに十八日よりにや世中はやり/s137r k3-48 たるかたはらやみのけをはしますとてくすしめさるるなと ききしほとにしたいに御わつらはしなと申をききまいらせし ほとにおもふかたなき心地するに廿一日にや文ありこの世にて たいめんありしをかきりともおもはさりしにかかるやまひに とりこめられてはかなくなりなんいのちよりもおもひをく ことともこそつみふかけれみしむは玉の夢もいかなることにか とかきかきておくに   身はかくておもひきえなむ烟たにそなたの空になひきたにせは とあるをみる心地いかてかをろかならむけにありしあか月を かきりにやとおもふもかなしけれは   おもひきえむ烟の末をそれとたになからへはこそ跡をたにみめ/s137l k3-49 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/137 ことしけき御中はなかなかにやとておもふほとの言の葉もさな からのこし侍しもさすかこれをかきりとはおもはさりし ほとに十一月廿五日にやはかなく成給ひぬとききしは 夢に夢みるよりもなをたとられすへて何といふへき かたもなきそ我なからつみふかき見はてぬ夢とかこち給 しかなしさのこるとありしおもかけよりうちはしめ うかりしままのわかれなりせはかくは物はおもはさらましと思ふ にこよひしも村雨うちそそきて雲のけしきさへたたなら ねはなへは雲井もあはれにかなしそなたの空にとありし 御水くきはむなしくはこの底にのこりありしままの御 うつりかはたた手枕になこりおほくおほゆれはまことの道/s138r k3-50 に入てもつねのねかひなれはとおもふさへ人の物いひもおそ ろしけれはなき御かけのあとまてもよしなきなにやととめ給 はんとおもへはそれさへかなはぬそ口おしきあけはなるる/s138l k3-51 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/138 [[towazu3-19|<>]]