とはずがたり ====== 巻3 19 十一月六日のことなりしに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-18|<>]] 十一月六日のことなりしに、あまりになるほどに、御訪れのうちしきるもそら恐しきに、十三日の夜更くるほどに、例の立ち入り給ひたるも((「給ひたるも」は底本「給さるも」))、なべて世の中つつましきに、一昨年(おととし)より春日の御榊((「榊」は底本「木枝(さかき)」。「木枝」に「さかき」と傍書。))京に渡らせ給ふが、「このほど、御帰座あるべし」とひしめくに、いかなることにか、かたはら病(やみ)といふことはやりて、いくほどの日数も隔てず人々隠ること聞くが、「ことに身に近き無常どもを聞けば、『いつかわが身も、なき人数(ひとかず)に』と、心細きままに、思ひ立ちつる」とて、常よりも心細く、あぢきなきさまに言ひ契りつつ、「形は世々に変るとも、あひ見ることだに絶えせずは、いかなる上品上生の台(うてな)にも、共に住まずはもの憂かるべきに、いかなる藁屋の床(とこ)なりとも((『新古今和歌集』雑下 蝉丸「世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋も果てしなければ」。))、もろともにだにあらばと思ふ」など、夜もすがらまどろまず、語らひ明かし給ふほどに、明け過ぎにけり。 出で給ふべき所さへ、垣根続きの主(あるじ)が方ざまに人目しげければ、つつむにつけたる御有様もしるかるべければ、今日は留まり給ぬるそら恐しけれども、心知る稚児一人よりほかは知らぬを、「わが宿所にても、いかが聞こえなすらむ」と思ふも、胸騒がしけれども、主(ぬし)はさしも思されぬぞ、言の葉なき心地する。 今日は日暮らしのどかに、「憂かりし有明の別れより、にはかに雲隠れぬと聞きしにも、かこつ方なかりしままに、五部の大乗経を手づから書きて、おのづから水茎の跡を一巻(ひとまき)に一文字づつを加へて書きたるは、必ず下界にて今一度契りを結ばんの大願なり。いとうたてある心なり。この経、書写は終りたる。供養を遂げぬは、このたび一所に生まれて供養をせむとなり。竜宮の法蔵に預け奉らば、二百余巻(よくわん)の経、必ずこのたびの生まれに供養を延ぶべきなり。されば、われ北邙(ほくばう)の露と消えなん後の煙(けぶり)に、この経を薪に積み具せんと思ふなり」など仰せらるる。よしなき妄念もむつかしく、「ただ一仏の蓮(はちす)の縁をこそ」と申せば、「いさや、なほこの道の名残惜しきにより、『今一度、人間に生を受けばや』と思ひ定め、世の習ひいかにもならば、むなしき空に立ち昇らむ煙(けぶり)もなほあたりは去らじ」など、まめやかにかはゆきほどに仰せらせて、うちおどろきて、汗おびたたしく垂り給ふを、「いかに」と申せば、「わが身が鴛鴦(をし)といふ鳥となりて、御身の中(うち)へ入ると思ひつるが、かく汗のおびたたしく垂るは、あながちなる思ひに、わが魂や袖の中(なか)留まりけん((『古今和歌集』雑下 みちのく「あかざりし袖の中(なか)にや入りにけむわが魂のなき心地する」))」など仰せられて、「今日さへいかが」とて立ち出で給ふに、月の入るさの山の端(は)に横雲白(しら)みつつ、東の山はほのぼのと明くるほどなり。明け行く鐘に音(ね)を添へて、帰り給ひぬる名残、いつよりも残り多きに、近きほどより、かの稚児してまた文あり。   あくがるるわが魂は留め置きぬ何の残りて物思ふらん いつよりも、悲しさもあはれさも置き所なくて   物思ふ涙の色をくらべばやげに誰が袖かしをれまさると 心に、きと思ひ続くるままなるなり。 [[towazu3-18|<>]] ===== 翻刻 ===== いとわひし十一月六日のことなりしにあまりになる ほとに御をとつれのうちしきるもそらをそろしきに 十三日の夜ふくるほとにれいのたち入給さるもなへて 世の中つつましきにおととしより春日の御木枝(さかき)京に わたらせ給ふかこのほと御帰座あるへしとひしめく/s135r k3-44 にいかなることにかかたはらやみといふことはやりていく ほとの日かすもへたてす人々かくることきくかことに 身にちかきむしやうともをきけはいつか我身もなき 人かすにと心ほそきままにおもひたちつるとてつねよりも 心ほそくあちきなきさまにいひちきりつつかたちは世々に かはるともあひみることたにたえせすはいかなる上ほん上 しやうのうてなにもともにすますは物うかるへきに いかなるわらやのとこなりとももろともにたにあらはとおもふ なとよもすからまとろますかたらひあかし給ふほとに明すき にけりいてたまふへき所さへかきねつつきのあるし かかたさまに人めしけけれはつつむにつけたる御ありさまも/s135l k3-45 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/135 しるかるへけれはけふはととまり給ぬるそらおそろしけ れとも心しるちこ一人よりほかはしらぬを我宿所にて もいかかきこえなすらむとおもふもむねさはかしけれとも ぬしはさしもおほされぬそことの葉なき心地するけふは ひくらしのとかにうかりし有明のわかれよりにはかに雲 かくれぬとききしにもかこつかたなかりしままに五ふの 大せう経をてつからかきてをのつからみつくきのあとを一ま きに一もしつつをくわへてかきたるはかならすけかいにていま 一とちきりをむすはんの大願なりいとうたてあるこころ なりこの経しよしやはおはりたるくやうをとけぬはこの たひ一所にうまれてくやうをせむとなりりうくうの/s136r k3-46 ほうさうにあつけたてまつらは二百よくわんの経かならすこの たひのむまれにくやうをのふへきなりされは我ほくはうの 露ときえなんのちのけふりに此経をたききにつみ くせんとおもふなりなとおほせらるるよしなきまうねんも むつかしくたた一仏のはちすのゑんをこそと申せはいさやなを このみちの名こりおしきによりいま一と人間に生をうけ はやとおもひさため世のならひいかにもならはむなしき空に たちのほらむけふりも猶あたりはさらしなとまめやかに かはゆきほとに仰らせてうちおとろきてあせをひたたしく たりたまふをいかにと申せは我身かをしといふ鳥とな りて御身のうちへ入とおもひつるかかくあせのをひ/s136l k3-47 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/136 たたしくたるはあなかちなるおもひに我たましいや袖の中 ととまりけんなとおほせられてけふさへいかかとてたち いて給に月の入さの山のはによこ雲しらみつつ東の 山はほのほのとあくるほとなりあけ行かねにねをそへてかへり 給ぬる名こりいつよりものこりおほきにちかきほとよりか のちこして又文あり   あくかるる我たましゐはととめをきぬ何の残て物おもふらん いつよりもかなしさもあはれさもをき所なくて   物おもふなみたの色をくらへはやけにたか袖かしほれまさると 心にきとおもひつつくるままなるなりやかてその日に御所へ/s137r k3-48 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/137 [[towazu3-18|<>]]