とはずがたり ====== 巻3 3 常に御使に参らせらるるにも日ごろよりも心の鬼とかやも・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu3-02|<>]] 常に御使(つかひ)に参らせらるるにも((「せらるるにも」は底本「せらるたにも」。))、日ごろよりも、心の鬼とかやも、せんかたなき心地するに、いまだ初夜もまだしきほどに、真言のことにつけて御不審どもを記し申さるる折紙を持ちて参りたるに、いつよりも人もなくて、面影に澄む春の月((『新古今和歌集』恋二 藤原俊成女「面影の霞める月ぞ宿りける春や昔の袖の涙に」・『新後撰和歌集』雑下 源兼孝「別れにし後の三年の春の月面影霞む夜半ぞ悲しき」))、おぼろにさし入りたるに、脇息(けふそく)に寄りかかりて、念誦し給ふほどなり。「憂かりし秋の月影は、ただそのままにとこそ、仏にも申したりつれども、かくてもいと耐へがたく思ゆるは、なほ身に替ふべきにや。同じ世になき身になし給へとのみ申すも、神も受けぬ禊(みそぎ)なれば、いかがはせん」とて、しばし引き止め給ふも、「いかに漏るべき憂き名にか」と恐しながら、見る夢のいまだ結びも果てぬに、「時(じ)なりぬ」とてひしめけば、後ろの障子より出でぬるも、隔つる関の心地して、「後夜果つるほど(([[towazu2-09|2-09]]参照。))」と、かへすがへす契り給へども、さのみ憂き節のみ止まるべきにしあらねば、また立ち帰りたるにも、「悲しさ残る(([[towazu2-10|2-10]]参照。))」とありし夜半よりも、今宵はわが身に残る面影も、袖の涙に残る心地するは、「これや逃れぬ契りならむ」と、われながら((「われながら」は底本「我なら」。))前(さき)の世ゆかしき心地して、うち臥したれども、また寝に見ゆる夢もなくて明け果てぬれば、さてしもあらねば、参りて御膳の役に従ふに、折しも人少ななる御ほどにて、「夜べは心ありて振舞ひたりしを、思ひ知り給はじな。われ知り顔にばしあるな。包み給はむも心苦し」など仰せらるるぞ、なかなか言の葉なき。 御修法の心汚さも御心のうちわびしきに、六月と申しし夜は如月の十八日にて侍りしに、広御所の前の紅梅、常の年よりも色も匂ひもなべてならぬを御覧ぜられて、更くるまてありしほどに、後夜果つる音すれば、「今宵ばかりの夜半も更けぬべし。暇作り、出でよかし」ほど仰せらるるもあさましきに((「あさましきに」は底本「あさましきと」。))、深き鐘の声の後、東(ひむがし)の御方((洞院愔子))召され給ひて、橘の御壺の二の間に御夜になりぬれば、仰せに従ふにしあらねども、今宵ばかりもさすが御名残なきにしあらねば、例の方ざまへ立ち出でたれば、「もしや」と待ち給ひけるもしるければ、「思ひ絶えずは本意なかるべし」とかや思えても、ただ今までさまざま承りつる御言の葉、耳の底にとどまり、うちかはし給ひつる御匂ひも、袂に余る心地するを、あらず((「飽かず」の誤写と読む説もある。))重ぬる袖の涙は、誰(たれ)にかこつべしとも覚えぬに、今宵閉ぢめぬる別れのやうに泣き悲しみ給ふも、なかなかよしなき心地するに、「憂かりしままの別れよりも((「よりも」は底本「よるも」。))止みなましかば」と、かへすがへす思はるれども、かひなくて、短夜(みじかよ)の空の今宵よりのほどなさは、露の光など言ひぬべき心地して、明け行けば後朝(きぬぎぬ)になる別れは、いつの暮をかとその期(ご)遥かなれば((『和漢朗詠集』餞別 江相公(大江朝綱)「前途程遠。馳思於鴈山之暮雲。後會期遥。霑纓於鴻臚之曉涙。」))、   つらしとて別れしままの面影をあらぬ涙にまた宿しつる [[towazu3-02|<>]] ===== 翻刻 ===== にも御心のうちいとわひしつねに御つかひにまいらせらるたにも 日ころよりも心のをにとかやもせんかたなき心地するにいまた初 夜もまたしきほとにしんこんのことにつけて御ふしんともをし るし申さるるおりかみをもちてまいりたるにいつよりも人もな くておもかけにすむ春の月おほろにさし入たるにけうそくに よりかかりてねんしゆし給ふほとなりうかりし秋の月かけは たたそのままにとこそ仏にも申したりつれともかくてもいとたえ かたくおほゆるはなを身にかふへきにやおなし世になき身 になしたまへとのみ申も神もうけぬみそきなれはいかかはせん/s116l k3-7 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/116 とてしはしひきとめたまふもいかにもるへきうき名にかとおそ ろしなからみる夢のいまたむすひもはてぬに時なりぬとてひしめ けはうしろのさうしよりいてぬるもへたつる関の心地して こ夜はつるほとと返々ちきりたまへともさのみうきふしのみ とまるへきにしあらねは又たちかへりたるにもかなしさのこるとありし 夜はよりもこよひは我身にのこるおもかけも袖の泪にのこる 心地するはこれやのかれぬちきりならむと我ならさきの世ゆ かしき心ちしてうちふしたれとも又ねに見ゆる夢もなく てあけはてぬれはさてしもあらねはまいりて御せんの やくにしたかふにおりしも人すくななる御ほとにて夜部は 心ありてふるまひたりしをおもひしりたまはしな我しり/s117r k3-8 かほにはしあるなつつみたまはむも心くるしなとおほせらるるそ なかなかことの葉なき御修法の心きたなさも御心のうちわひ しきに六月と申しし夜はきさらきの十八日にて侍しにひ ろ御所のまへの紅梅つねのとしよりも色もにほひもなへて ならぬを御らんせられてふくるまてありし程に後夜は つるをとすれはこよひはかりのよはもふけぬへしひまつくり いてよかしほとおほせらるるもあさましきとふかきかねの こゑののちひむかしの御かためされたまひてたち花の御つほの 二の間に御よるになりぬれはおほせにしたかふにしあらね共 こよひはかりもさすか御なこりなきにしあらねはれいのかた さまへたちいてたれはもしやとまち給けるもしるけれは/s117l k3-9 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/117 おもひたえすはほいなかるへしとかやおほえてもたたいままて さまさまうけたまはりつる御ことの葉耳のそこにととまりうち かはし給つる御にほひもたもとにあまる心地するをあらすかさ ぬる袖のなみたはたれにかこつへしともおほえぬにこよひとち めぬるわかれのやうになきかなしみたまふもなかなかよしなき 心地するにうかりしままのわかれよるもやみなましかはと返々 おもはるれともかひなくてみしかよの空のこよひよりのほと なさは露の光なといひぬへき心ちしてあけ行はきぬきぬに なるわかれはいつのくれをかとそのこはるかなれは  つらしとてわかれしままのおもかけをあらぬ泪に又やとしつる/s118r k3-10 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/118 [[towazu3-02|<>]]