とはずがたり ====== 巻2 35 今日は還御にてあるべきを御名残多きよし傾城申していまだ侍り・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-34|<>]] 今日は還御にてあるべきを、「御名残多きよし傾城申して、いまだ侍り。今日ばかり」と申されて、大殿((鷹司兼平))より、「御事参るべし」とて、また逗留あるも、またいかなることかと悲しくて、局としもなくうち休みたる所へ、   「短夜の夢の面影さめやらで心に残る袖の移り香 近き御隣の御寝覚めもやと、今朝はあさましく」などあり。   夢とだになほ分きかねて人知れずおさふる袖の色を見せばや たびたび召しあれば参りたるに、「わびしくや思ふらん」と思し召しけるにや、ことにうらうらとあたり給ふぞ、なかなかあさましき。 ことども始まりて、今日はいたく暮れぬほどに御舟に召されて、伏見殿へ出でさせおはします。更け行くほどに鵜飼(うかひ)召されて、鵜舟(うふね)、端舟(はしふね)に付けて、鵜使はせらる。鵜飼三人参りたるに、着たりし単襲賜ぶなどして、還御なりて後、また酒参りて酔(ゑ)はせおはしますさまも今宵はなのめならで、更けぬれば、また御夜なる所へ参りて、あまた重ぬる旅寝こそ、すさまじく侍れ。 「さらでも伏見の里は寝にくきものを」など仰せられて、「紙燭さして賜べ。むつかしき虫などやうの物もあるらん」と、あまりに仰せらるるもわびしきを、「などや」とさへ仰せごとあるに、まめやかに悲しき。「かかる老いのひがみは、思し許してんや。いかにぞや見ゆることも、御傅(めのと)になり侍らん古き例(ためし)も多く」など、御枕にて申さるる、言はん方なく悲しともおろかならむや。 例のうらうらと、「こなたも独り寝はすさまじく、遠からぬほどにこそ」など申させ給へば、夜べの所に宿りぬるこそ。 [[towazu2-34|<>]] ===== 翻刻 ===== かたきけふは還御にて有へきを御なこりおほきよし けいせい申ていまた侍けふはかりと申されて大殿より御ことまいる/s106l k2-83 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/106 へしとて又とうりうあるも又いかなる事かとかなしくて つほねとしもなくうちやすみたる所へ    みしか夜の夢のおも影さめやらて心にのこる袖のうつりか ちかき御となりの御ねさめもやとけさはあさましくなと あり    夢とたに猶わきかねて人しれすおさふる袖の色をみせはや たひたひめしあれはまいりたるにわひしくやおもふらんとおほし めしけるにやことにうらうらとあたり給そなかなかあさま しきことともはしまりてけふはいたくくれぬほとに 御ふねにめされてふしみ殿へ出させおはしますふけゆく ほとにうかひめされてうふねはしふねにつけて/s107r k2-84 うつかはせらるうかひ三人まいりたるにきたりしひとへ かさねたふなとして還御なりてのち又さけまいりてゑはせ おはしますさまもこよひはなのめならてふけぬれは又 御よるなる所へまいりてあまたかさぬるたひねこそす さましく侍れさらてもふしみのさとはねにくきものを なとおほせられてしそくさしてたへむつかしきむしなと やうの物もあるらんとあまりにおほせらるるもわひしき をなとやとさへおほせ事あるにまめやかにかなしき かかるおいのひかみはおほしゆるしてんやいかにそやみゆる事 も御めのとに成侍らんふるきためしもおほくなと御ま くらにて申さるるいはんかたなくかなしともおろか/s107l k2-85 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/107 ならむやれいのうらうらとこなたもひとりねはすさましく とをからぬほとにこそなと申させ給へはよへの所にやと りぬるこそけさは夜の中に還御とてひしめけはおき/s108r k2-86 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/108 [[towazu2-34|<>]]