とはずがたり ====== 巻2 23 さるほどに九献半ば過ぎて御約束のままに入らせ給ふに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-22|<>]] さるほどに、九献半ば過ぎて、御約束のままに入らせ給ふに、明石の上の代りの琵琶なし。ことのやうを御尋ねあるに、東(ひむがし)の御方((洞院愔子))、ありのままに申さる。聞かせ おはしまして、「ことわりや、あが子が立ちけること。そのいはれあり」とて、局を尋ねらるるに、「これを参らせて、はや都へ出でぬ。『さだめて召しあらば参らせよ』とて、消息こそ候へ」と申しけるほどに、「あへなく不思議なり」とて、よろづに苦々しくなりて、今の歌を新院((亀山院))も御覧ぜられて、「いとやさしくこそ侍れ。今宵の女楽は、あいなく侍るべし。この歌を給はりて帰るべし」とて、申させ給ひて、還御なりにけり。 この上は、今参り琴弾くに及ばず。面々に「兵部卿((四条隆親))、うつつなし。老いの僻みか。あが子((「あが子」は底本「あるこ」。))がしやう、やさしく」など申して過ぎぬ。 朝(あした)は、またとく四条大宮の御姆(はは)がもと、六角櫛笥(ろつかくくしげ)の祖母(むば)のもとなど、人を給りて御尋ねあれども、「行方知らず」と申しけり。さるほどに、あちこち尋ねらるれども、いづくよりか、ありと申すべき。「よきついでに、憂き世を遁れん」と思ふに、師走のころより、ただならずなりにけりと思ふ折からなれば、それしもむつかしくて、「しばしさらば隠ろへ居て、この程過ぐして、身二つとなりなば」と思ひてぞ居たる。 これよりして、「長く琵琶の撥(ばち)を取らじ((「取らじ」は底本「とゝし」。))」と誓ひて、後嵯峨の院((後嵯峨院))より賜はりてし琵琶の八幡(やはた)へ参らせしに、大納言((父、久我雅忠))の書きて給びたりし文の裏に、法華経を書きて参らするとて、経の包み紙((「包み紙」は底本「つみかみ」。))に、   この世にも思ひきりぬる四つの緒の形見や法(のり)の水茎の跡 [[towazu2-22|<>]] ===== 翻刻 ===== ていて侍ぬさるほとに九こんなかは過て御やくそくのままに いらせ給にあかしのうへのかはりのひわなし事のやうを御 たつねあるにひむかしの御かた有のままに申さるきかせ おはしましてことはりやあかこかたちける事そのいはれ 有とてつほねをたつねらるるにこれをまいらせてはや 宮こへ出ぬさためてめしあらはまいらせよとてしやうそく こそ候へと申けるほとにあへなくふしき成とてよろつに にかにかしく成ていまのうたを新院も御覧せられていと/s91l k2-53 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/91 やさしくこそ侍れこよひの女かくはあいなく侍るへしこの 哥を給はりてかへるへしとて申させ給て還御なりにけり このうへはいままいりことひくにおよはすめむめむに兵部卿う つつなしおいのひかみかあるこかしやうやさしくなと申て すきぬあしたはまたとく四条大宮の御ははかもと六かくくしけ のむはのもとなと人を給りて御たつねあれとも行ゑしらす と申けりさるほとにあちこちたつねらるれともいつく よりかありと申へきよきついてにうき世をのかれんとおもふ にしはすのころよりたたならすなりにけりとおもふお りからなれはそれしもむつかしくてしはしさらはかくろ へゐてこのほとすくして身二となりなはとおもひて/s92r k2-54 そゐたるこれよりしてなかくひわのはちをととしと ちかひて後さかの院よりたまはりてしひわのやわたへまい らせしに大納言のかきてたひたりしふみのうらに 法花経をかきてまいらするとて経のつみかみに    この世にも思きりぬる四のおのかたみや法の水くきのあと/s92l k2-55 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/92 [[towazu2-22|<>]]