とはずがたり ====== 巻2 22 すでに九献始まりなどしてこなたに女房次第に出で・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-21|<>]] すでに九献(くこん)始まりなどして、こなたに女房、次第に出で、心々の楽器(がくき)前に置き、思ひ思ひの褥(しとね)など、若菜の巻にや、記し文(ぶみ)のままに定め置かれて、時なりて、主(あるじ)の院((後深草院))は六条院((光源氏))に代はり、新院((亀山院))は大将((夕霧))に代はり、殿の中納言中将((鷹司兼忠))、洞院の三位中将にや、笛・篳篥(ひちりき)に階下へ召さるべきとて、まづ女房の座、みなしたためて並び居て、あなた裏にて御酒盛りありて、半ばになりて、こなたへ入らせ給ふべきにてある所へ、兵部卿((四条隆親))参りて、女房の座いかに」とて見らるるが、「このやう悪(わろ)し。まねばるる女三宮、文台(ぶんだい)の御前なり。今まねぶ人の、これは叔母なり。あれは姪(めい)なり。上に居るべき人なり。隆親、故大納言には上首(じやうしゆ)なりき。何事に下に居るべきぞ((「べきぞ」は底本「人きそ」。))。居直れ、居直れ」と声高(こゑだか)に言ひければ、善勝寺((四条隆顕))・西園寺((西園寺実兼))参りて、「これは別勅にて候ふものを」と言へども、「何とてあれ、さるべきことかは」と言はるる上は、一旦こそあれ、さのみ言ふ人もなければ、御前はあなたに渡らせ給ふに、誰か告げ参らせんもせんなければ、座を下(しも)へ降ろされぬ。出だし車のこと、今さら思ひ出だされて、いと悲し。 姪・叔母には、なじか依るべき。あやしの者の腹に宿る人も多かり。それも、叔母は祖母(むば)はとて、捧げ置くべきか。こは何事ぞ。すべて、すさまじかりつることなり。 「これほど面目なからむことにまじろひて、せんなし」と思ひて、この座を立つ。局へすべりて、「御尋ねあらば、消息(しやうそく)を参らせよ」と言ひ置きて、小林といふは御姆(はは)が母、宣陽門院((後白河院皇女覲子内親王))に伊予殿といひける女房、おくれ参らせて、さま変へて、即成院(そくじやうゐん)の御墓近く候ふ所へ尋ね行く。 参らせ置く消息に、白き薄様に琵琶の一の緒を二つに切りて包みて、   数ならぬ憂き身を知れば四つの緒もこの世のほかに思ひ切りつつ と書き置きて、「御尋ねあらば、『都へ出で侍りぬ』と申せ」と申し置きて、出で侍りぬ。 [[towazu2-21|<>]] ===== 翻刻 ===== ぬすてに九こんはしまりなとしてこなたに女房したいに いて心々のかくきまへにをきおもひおもひのしとねなとわかな のまきにやしるしふみのままにさためをかれて時なりて/s90r k2-50 あるしの院は六条院にかはり新院は大将にかはり殿の中 納言中将とうゐんの三位中将にやふえひちりきにかいかへめさる へきとてまつ女房の座みなしたためてならひゐてあなた うらにて御さかもり有てなかはになりてこなたへいらせ 給へきにてある所へ兵部卿まいりて女房のさいかにとてみら るるかこのやうわろしまねはるる女三宮ふんたいの御前なり いままねふ人のこれはおはなりあれはめいなりうへにゐるへき 人なりたかちかこ大納言には上しゆなりき何事に下にゐる人 きそゐなをれゐなをれとこゑたかにいひけれはせんせうしさいおん 寺まいりてこれは別ちよくにて候物をといへともなにとて あれさるへき事かはといはるるうへは一たんこそあれさのみ/s90l k2-51 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/90 いふ人もなけれは御前はあなたにわたらせ給にたれかつけ まいらせんもせんなけれは座をしもへおろされぬいたし車 の事今さらおもひ出されていとかなしめいおはにはなし かよるへきあやしのもののはらにやとる人もおほかりそれも おははむははとてささけをくへきかこはなに事そすへて すさましかりつる事也これほとめむほくなからむ事にましろ いてせんなしとおもひてこのさをたつつほねへすへりて御た つねあらはしやうそくをまいらせよといひをきてこはやし といふは御ははかははせんやう門院にいよ殿といひける女 房をくれまいらせてさまかへてそくしやう院の御はかちかく候 所へたつねゆくまいらせをくしやうそくにしろきうす/s91r k2-52 やうにひわの一の緒を二にきりてつつみて    数ならぬうきみをしれは四のをもこの世の外におもひきりつつ とかきをきて御たつねあらは宮こへ出侍ぬと申せと申をき ていて侍ぬさるほとに九こんなかは過て御やくそくのままに/s91l k2-53 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/91 [[towazu2-21|<>]]