とはずがたり ====== 巻2 17 その後とかく仰せらるれども御返事も申さず・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-16|<>]] その後、とかく仰せらるれども、御返事も申さず。まして参らんこと、思ひ寄るべきことならず。とにかくに言ひなして、つひに見参(げざむ)に入らぬに、暮れ行く年に驚きてにや、文あり。善勝寺((四条隆顕))の文に、 「御文((有明の月からの手紙。))参らす。このやう、かへすがへす詮(せん)なくこそ候へ。あながちに厭ひ申さるることにても候はず。しるべ御契にてこそ、かくまても思し召し染み候ひけめに、情けなく申され、かやうに苦々しくなりぬること、身一つの歎きに思え候ふ。これへも、同じさまには、かへすがへす恐れ覚え候ふ」 よし、細々とあり。 文を見れば、立文(たてぶみ)、こはごはしげに続飯(そくい)にて上下に付け、書かれたり。開けたれば、熊野の、またいづくのやらん、本寺のとかや、牛王(ごわう)といふ物の裏に、まづ日本国六十ヶ神仏、梵天王、帝釈より始め、書き尽し給ひて後、 「われ、七歳よりして、勤求等覚(こんぐとうがく)の沙門の形(かたち)を汚(けが)してよりこの方、炉壇(ろたん)に手を結びて、難行苦行の日を重ね、近くは天長地久を祈り奉り、遠くは一切衆生もろともに滅罪生善を祈誓す。心の中、『さだめて護法天童(こおうてんどう)、証明知見((「証明知見」は底本「しよみやちけん」。))垂れ給ふらん』と思ひしに、いかなる魔縁にか、よしなきことゆゑ、今年二年、夜は夜もすがら面影を恋ひて涙に袖を濡らし、本尊に向ひ持経を開く折々も、まづ言の葉をしのび、護摩の壇の上には文を置きて持経とし、御灯明(あかし)の光には、まづこれを開きて心を養ふ。この思ひ、忍びがたきによりて、『かの大納言に言ひ合はせば、見参(げさむ)の便りも心やすくや』など思ふ。また、『さりとも、同じ心なるらむ』と思ひつること、みなむなし。この上は、文をもつかはし、言葉をも交はさんと思ふこと、今生にはこの思ひを断つ。さりながら、心の中に忘るることは、生々世々あべからざれば、われ、さだめて悪道に落つべし。されば、この恨み尽くる世あるべからず。両界(りやうかい)の加行(けぎやう)よりこの方、灌頂に至るまで、一々((「一々」は底本「一こ」))の行法、読誦大乗((「読誦大乗」は底本「こんしゆ大乗」))、四威儀((「四威儀」は底本「しにき」))の行、一期の間(あひだ)修(しゆ)するところ、みな三悪道に廻向す。この力をもちて、今生長くむなしくて、後生には悪趣に生まれ合はむ。そもそも((「そもそも」は底本「又もし」))生を受けてこの方、幼少の昔、襁褓(むつき)の中にありけむことは覚えずして過ぎぬ。七歳にて髪を剃り、衣を染めて後、一つ床(ゆか)にもゐ、もしは愛念の思ひなど、思ひ寄りたることなし。この後、またあるべからず。『われにも言ふ言の葉は、なべて人にもや』と思ふらんと思ひ、大納言が心中、かへすがへす悔しきなり」 と書きて、天照大神(てんせうだいじん)、正八幡宮(しやうはちまんぐう)いしいし、おびたたしく賜はりたるを見れば、身の毛も立ち、心もわびしきほどなれど、さればとて、何とかはせん。これをみな巻き集めて、返し参らする包み紙に、   今よりは絶えぬと見ゆる水茎の跡を見るには袖ぞしをるる とばかり書きて、同じさまに封じて返し参らせたりし後は、かき絶え御訪れもなし。何とまた申すべきことならねば、むなしく年も帰りぬ。 [[towazu2-16|<>]] ===== 翻刻 ===== たたかくはかりにてそ侍しそののちとかくおほせらるれとも 御返事も申さすましてまいらん事おもひよるへき事なら すとにかくにいひなしてつゐにけさむにいらぬにくれ行 としにおとろきてにや文ありせんせうしの文に御ふみま いらすこのやう返々せんなくこそ候へあなかちにいとひ申さるる 事にても候はすしかるへき御契にてこそかくまてもおほし めししみ候けめになさけなく申されかやうににかにかしくなり ぬる事身ひとつのなけきにおほえ候これへもおなしさまには 返々おそれ覚候よしこまこまとあり文をみれはたてふみこは/s83l k2-37 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/83 こはしけにそくいにて上下につけかかれたりあけたれはくまのの 又いつくのやらん本寺のとかやこわうといふ物のうらにまつ 日本国六十ヶ神仏ほんてんわうたいしやくよりはしめ かきつくし給てのち 我七さいよりしてこんくとうかくの沙門のかたちをけかして よりこのかたろたんに手をむすひてなんきやうくきやう の日をかさねちかくは天ちやう地きうをいのりたてまつり とをくは一さいしゆしやうもろともにめつさいしやうせんを きせいす心の中さためてこおうてんとうしよみやちけん たれ給らんとおもひしにいかなるまゑんにかよしなき 事ゆへことし二ねん夜はよもすからおもかけをこひて涙/s84r k2-38 に袖をぬらし本そんにむかひ持経をひらくおりおりも まつことのはをしのひこまのたんのうへにはふみををき て持経とし御あかしの光にはまつこれをひらきて心を やしなふこのおもひしのひかたきによりてかの大納言にいひ あはせはけさむのたよりも心やすくやなとおもふ又さり ともおなし心なるらむとおもひつる事みなむなしこの上は ふみをもつかはしことはをもかはさんとおもふ事今生にはこの おもひをたつさりなから心の中にわするる事はしやうしやう 世々あへからされは我さためてあくたうにおつへしされは このうらみつくる世有へからすりやうかいのけ行より このかたくわんちやうにいたるまて一この行法こんしゆ大/s84l k2-39 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/84 乗しにきの行一このあひたしゆするところみな三あく道 にゑかうすこのちからをもちてこんしやうなかくむなしくて 後生にはあくしゆにむまれあはむ又もし生をうけて このかたようせうのむかしむつきの中に有けむ事は おほえすして過ぬ七さいにてかみをそり衣をそめてのち ひとつゆかにもゐもしはあいねんのおもひなと思よりたる 事なしこの後又あるへからす我にもいふことのははなへて人に もやと思らんとおもひ大納言か心中返々くやしきなりと かきて天せう大神正八まん宮いしいしおひたたしくたま はりたるをみれは身のけもたち心もわひしきほとなれと されはとてなにとかはせんこれをみなまきあつめて返し/s85r k2-40 まいらするつつみかみに    今よりはたえぬとみゆる水くきの跡をみるには袖そしほるる とはかりかきておなしさまにふうして返しまいらせたりし後は かきたえ御をとつれもなしなにと又申へき事ならねは むなしくとしも帰ぬ春はいつしか御まいり有ことなれは/s85l k2-41 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/85 [[towazu2-16|<>]]