とはずがたり ====== 巻2 10 御灯明の光さへくもりなく差し入りたりつる火影は来む世の闇も悲しきに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu2-09|<>]] 御灯明(あかし)の光さへ、くもりなく差し入りたりつる火影(ほかげ)は、来む世の闇も悲しきに、思ひ焦がるる心はなくて、後夜過ぐるほどに、人間(ひとま)をうかがひて参りたれば、このたびは御時果てて後なれば、少しのどかに見奉るにつけても、むせかへり給ふ気色、心苦しきものから、明け行く音するに、肌に着たる小袖に、わが御肌なる御小袖を、しひて「形見に」とて着替へ給ひつつ、起き別れぬる御名残も、かたほなるものから、なつかしく、あはれとも言ひぬべき御さまも忘れがたき心地して、局(つぼね)にすべりて、うち寝たるに、今の御小袖のつまに物あり。取りて見れば、陸奥紙(みちのくにがみ)をいささか破(や)りて、   うつつとも夢ともいまだ分きかねて悲しさ残る秋の夜の月 とあるも、「いかなる暇に書き給ひけむ」など、なほざりならぬ御心ざしも、そらに知られて、このほどは暇をうかがひつつ、夜を経てと言ふばかり見奉れば、このたびの御修法は心清からぬ御祈誓、仏の御心中も恥かしきに、二七日の末つかたよりよろしくなり給ひて、三七日にて御結願ありて、出で給ふ。 明日とての夜、「また、いかなる便りをか待ち見む。念誦(ねんじゆ)の床(ゆか)にも塵積り、護摩の道場も煙(けぶり)絶えぬべくこそ。同じ心にだにもあらば、濃き墨染の袂(たもと)になりつつ、深き山にこもりゐて、いくほどなきこの世に、物思はでも」など仰せらるるぞ、あまりにむくつけき心地する。明け行く鐘に音をそへて、起き別れ給ふさま、「いつ習ひ給ふ御言の葉にか」と、いとあはれなるほどに見え給ふ。御袖のしがらみも、「もりて憂き名や((『新続古今和歌集』恋四 よみ人しらず「柏木のもりて憂き名に立ちぬるや燃えし煙のはじめなりけむ」))」と心苦しきほどなり。 かくしつつ結願ありぬれば、御出でありぬるも、さすが心にかかるこそ、よしなき思ひも数々色そふ心地し侍れ。 [[towazu2-09|<>]] ===== 翻刻 ===== まいり給らんともおほえねはいとおそろし御あかしの光さへ くもりなくさし入たりつるほかけはこむよのやみもかなし きにおもひこかるる心はなくて後夜過るほとに人まをうかか いてまいりたれはこのたひは御時はててのちなれはすこしの とかにみたてまつるにつけてもむせかへり給ふけしき 心くるしき物からあけ行音するにはたにきたる小袖に 我御はたなる御小袖をしゐてかたみにとてきかへ給ひつつおきわかれ/s76l k2-23 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/76 ぬる御なこりもかたほなる物からなつかしくあはれともいひ ぬへき御さまも忘かたき心ちしてつほねにすへりてうちね たるにいまの御こそてのつまに物ありとりてみれはみちの くにかみをいささかやりて    うつつとも夢ともいまたわきかねてかなしさのこる秋のよの月 とあるもいかなるひまにかき給けむなと猶さりならぬ御心 さしもそらにしられてこのほとはひまをうかかいつつよをへて といふはかりみたてまつれはこのたひの御しゆほうは心きよか らぬ御きせい仏の御心中もはつかしきに二七日のすゑ つかたよりよろしく成給て三七日にて御けちくわんありて 出たまふあすとての夜又いかなるたよりをか待みむ念しゆ/s77r k2-24 のゆかにもちりつもりこまのたうちやうもけふりたえぬへ くこそおなし心にたにもあらはこきすみそめのたもと に成つつふかき山にこもりゐていくほとなきこの世に ものおもはてもなと仰らるるそあまりにむくつけき心ちする あけ行かねに音をそへておきわかれ給さまいつならひ たまふ御ことのはにかといとあはれなるほとにみえ給御袖の しからみももりてうきなやと心くるしきほとなりかくし つつけち願有ぬれは御いて有ぬるもさすか心にかか るこそよしなきおもひもかすかす色そふ心ちし侍れ九月/s77l k2-25 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/77 [[towazu2-09|<>]]