とはずがたり ====== 巻1 43 まことや前斎宮は嵯峨野の夢の後は御訪れもなければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-42|<>]] まことや、前斎宮は、嵯峨野の夢の後は御訪れもなければ、御心の内も御心苦しく、「わが道芝(みちしば)も、かれがれならずなど思ふに」とわびしくて、「さても、年をさへ隔て給ふべきか」と申したれば、「げに」とて文あり。「いかなる暇(ひま)にても思し召し立て」など申されたりしを、御養ひ母と聞こえし尼御前、やがて聞かれたりけるとて、参りたれば、いつしかかこち顔なる袖のしがらみせきあへず((『拾遺和歌集』恋四 紀貫之「涙川落つる水上早ければせきぞかねつる袖のしがらみ」))、「『神よりほかの御よすがなくて』と思ひしに、よしなき夢の迷ひより、御もの思ひのいしいし」と、口説きかけらるるも、わづらはしけれども、「暇しあらばの御使にて参りたる」と答ふれば、「これの御暇は、いつもなにの葦分けかあらむ」など聞こゆるよしを伝へ申せば、「端山(はやま)繁山(しげやま)の中を分けん((『新古今和歌集』恋一 源重之「筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るには障らざりけり」))などならば、さもあやにくなる心いられもあるべきに、越え((「越え」は底本「こゑ(え歟)」。「ゑ」に「え歟」と傍書。))過ぎたる心地して」と仰せありて、公卿の車を召されて、師走の月のころにや、忍びつつ参らせらる。 道もほど遠ければ、更け過ぐるほどに御渡り、京極面(おもて)の御忍び所も、このごろは春宮の御方になりぬれば、大柳殿の渡殿(わたどの)へ御車を寄せて、昼(ひ)の御座(おまし)のそばの四間へ入れ参らせ、例の御屏風隔てて御伽(とぎ)に侍れば、見し世の夢の後、かき絶えたる御日数の御恨みなども、ことわりに聞こえしほどに、明け行く鐘に音(ね)を添へて、まかり出で給ひし後朝(きぬぎぬ)の御袖は、よそも露けくぞ見え給ひし。 [[towazu1-42|<>]] ===== 翻刻 ===== まことや前斎宮はさかのの夢ののちは御をとつれもな けれは御心のうちも御心くるしく我みちしはもかれ かれならすなと思にとわひしくてさてもとしをさへ へたて給へきかと申たれはけにとて文ありいかな るひまにてもおほしめしたてなと申されたりしを御 やしなひははときこえしあまこせんやかてきかれ/s58l k1-107 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/58 たりけるとてまいりたれはいつしかかこちかほなる袖の しからみせきあへす神よりほかの御よすかなくてと思し によしなき夢のまよひより御物おもひのいしいしと くときかけらるるもわつらはしけれともひましあらはの 御つかひにてまいりたるとこたふれはこれの御ひまは いつもなにのあしわけかあらむなときこゆるよしを つたへ申せはは山しけ山のなかをわけんなとならは さもあやにくなる心いられもあるへきにこゑ(え歟)すきたる 心ちしてとおほせありて公卿のくるまをめされて しはすの月のころにや忍つつまいらせらるみちもほと とをけれはふけすくるほとに御わたり京極おもて/s59r k1-108 の御しのひ所もこのころは春宮の御かたになりぬれは 大やなきとののわた殿へ御くるまをよせてひの御さの そはの四まへいれまいらせれいの御ひやうふへたてて御 ときに侍れはみしよの夢ののちかきたえたる御日かす の御うらみなともことはりにきこえし程にあけ行 鐘にねをそへてまかり出給しきぬきぬの御そてはよそ もつゆけくそみえ給しとしも暮はてぬれは心の/s59l k1-109 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/59 [[towazu1-4|2<>]]