とはずがたり ====== 巻1 40 更けぬれば御前なる人もみな寄り臥したる・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-39|<>]] 更けぬれば、御前なる人も、みな寄り臥したる。御主(ぬし)((斎宮))も小几帳引き寄せて、御殿籠りたるなりけり。近く参りて、ことのやう奏すれば、御顔うち赤めて、いとものものたまはず、文も見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。「何とか申すべきと」と申せば、「思ひよらぬ御言の葉は、何と申すべきかたもなくて」とばかりにて((「ばかりにて」は底本「はかりて」))、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りて、このよしを申す。「ただ寝給ふらん所へ導け、導け」と責めさせ給ふもむつかしければ、御供に参らむことはやすくこそ、しるべして参る。甘(かん)の御衣(おんぞ)などはことごとしければ、御大口ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。 まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて、御殿籠りたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御ことどもかありけん。うち捨て参らすべきならねば、御上臥(うへぶし)したる人のそばに寝(ぬ)れば、いまぞおどろきて、「こは誰(た)そ」と言ふ。御人少ななるも御いたはしくて、御宿直(とのゐ」し侍る」といらへば、まことと((「まことと」は底本「まこと」。))思ひて物語するも、「用意なきことや」とわびしければ、「眠(ねぶ)たしや。更け侍りぬ」と言ひて、そら眠(ねぶ)りして居たれば、御几帳の内も遠からぬに、いたく御心も尽さず、はやうちとけ給ひにけりと覚ゆるぞ、あまりに念なかりし。 「心強くて明かし給はば、いかにおもしろからむ」と思えしに、明過ぎぬ前(さき)に帰り入らせ給ひて、「桜は匂ひは美しけれども、枝もろく、折りやすき花にてある」など仰せありしぞ、「さればよ」と思え侍りし。 日高くなるまで御殿籠りて、昼といふばかりになりて、おどろかせおはしまして、「けしからず。今朝しも寝(ゐ)ぎたなかりける」などとて、今ぞ文ある。御返事にはただ、「夢の面影は、覚むる方なく」などばかりにてありけるとかや。 [[towazu1-39|<>]] ===== 翻刻 ===== ふけぬれは御まへなる人もみなよりふしたる御ぬしもこ木 丁ひきよせて御とのこもりたる也けりちかくまいりて事/s52l k1-95 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/52 のやうそうすれは御かほうちあかめていと物もの給はす 文もみるとしもなくてうちをき給ぬなにとか申へきと 申せは思よらぬ御ことの葉はなにと申へきかたもなくてと はかりて又ね給ぬるも心やましけれは帰まいりてこのよし を申たたね給らん所へみちひけみちひけとせめさせ給もむ つかしけれは御ともにまいらむことはやすくこそしるへして まいるかんの御そなとはことことしけれは御大くちはかり にてしのひつついらせ給まつさきにまいりて御しやうしを やをらあけたれはありつるままにて御とのこもりたる御 まへなる人もね入ぬるにやをとする人もなくちいさらか にはひいらせ給ぬるのちいかなる御ことともかありけん/s53r k1-96 うちすてまいらすへきならねは御うへふしたる人のそ はにぬれはいまそおとろきてこはたそといふ御人すく ななるも御いたはしくて御とのゐし侍といらへはまこと 思て物かたりするもよういなきことやとわひしけれは ねふたしやふけ侍ぬといひてそらねふりしてゐたれ は御木丁のうちもとをからぬにいたく御心もつくさす はやうちとけ給にけりとおほゆるそあまりにねんなか りし心つよくてあかし給ははいかにおもしろからむと覚しに 明すきぬさきに帰いらせ給て桜はにほひはうつくし けれとも枝もろくおりやすき花にてあるなとおほせ ありしそされはよとおほえ侍し日たかくなるまて御/s53l k1-97 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/53 とのこもりてひるといふはかりになりておとろかせおはし ましてけしからすけさしもゐきたなかりけるなととて いまそ文ある御返事にはたた夢のおもかけはさむる方 なくなとはかりにてありけるとかやけふはめつらしき御/s54r k1-98 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/54 [[towazu1-39|<>]]