とはずがたり ====== 巻1 36 かかるほどに二十日あまりの曙よりその心地出で来たり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-35|<>]] かかるほどに、二十日あまりの曙より、その心地出で来たり。人に、「かく」とも言はねば、ただ心知りたる人、一・二人ばかりにて、とかく心ばかりは言ひ騒ぐも、「亡き後(あと)までも、いかなる名にか留まらむ」と思ふより、なほざりならぬ心ざしを見るにも、いと悲し。 いたく取りたることなくて、日も暮れぬ。火灯すほどよりは、ことのほかに近付きて覚ゆれども、ことさら弦打(つるうち)などもせず、ただ衣(きぬ)の下ばかりにて、一人悲しみゐたるに、深き鐘の聞こゆるほどにや、あまり耐へがたくや、起き上がるに、「いでや、腰とかやを抱(いだ)くなるに、さやうのことがなきゆゑに滞るか。いかに抱くべきことぞ((「抱くべきことぞ」は底本「たとへき事そ」。))とて、かき起こさるる袖に取り付きて、ことなく生まれ給ひぬ。まづ、「あな、嬉し」とて、「重湯、とく」など言はるるこそ、「いつ習ひけることぞ」と、心知るどちはあはれがり侍りしか。 さても、「何ぞ」と、火灯して見給へば、生髪(うぶがみ)黒々として、今より見開け給ひたるを、ただ一目見れば、恩愛(をんなひ)のよしみなれば、あはれならずしもなきを、そばなる白き小袖に押し包みて、枕なる刀の小刀にて、臍(ほぞ)の緒うち切りつつ、かき抱(いだ)きて、人にも言はず、外(と)へ出で給ひぬと見しよりほか、また二度(ふたたび)その面影見ざりしこそ。「さらば、などや今一目も」と言はまほしけれども、なかなかなれば、ものは言はねど、袖の涙はしるかりけるにや、「よしや、よも。長らへてあらば、見ることのみこそあらめ」など、なぐさめらるれど、一目見合はせられつる面影忘れがたく、女にてさへものし給ひつるを、いかなる方へとだに知らずなりぬると思ふも悲しけれども、「いかにして」と言ふに、さもなければ、人しれぬ音(ね)をのみ袖に包みて、夜も明けぬれば、あまりに心地わびしくて、「この暁、はやおろし給ひぬ。女にてなどは見え分くほどに侍りつるを」なと奏しける。「『温気(ぬるけ)などおびたたしきには、みなさること』と医師(くすし)も申すぞ。かまへていたはれ」とて、薬どもあまた給はせなどするも、いと恐し。 ことなるわづらひもなくて、日数過ぎぬれば、ここなりつる人も帰りなどしたれども、「百日過ぎて、御所ざまへは参るべし」とてあれば、つくづくとこもり居たれば、夜な夜なは隔てなくといふばかり通ひ給ふも((雪の曙・西園寺実兼))、いつとなく世の聞こえやとのみ、われも人も思ひたるも、心の暇なし。 [[towazu1-35|<>]] ===== 翻刻 ===== あらましとて返事をはするなとささめくもいと心くるしかかる 程に廿日あまりのあけほのよりその心ちいてきたり人に かくともいはねはたた心しりたる人一二人はかりにてとかく 心はかりはいひさはくもなきあとまてもいかなる名にかとと まらむと思よりなをさりならぬ心さしをみるにもいと かなしいたくとりたる事なくて日も暮ぬ火ともす ほとよりはことのほかにちかつきておほゆれともことさらつる うちなともせすたたきぬのしたはかりにてひとりかなしみ ゐたるにふかき鐘のきこゆる程にやあまりたえかたくや おきあかるにいてやこしとかやをいたくなるにさやうの事か/s45l k1-81 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/45 なきゆへにととこほるかいかにたとへき事そとてかきをこ さるる袖にとりつきてことなくむまれ給ぬまつあなうれ しとておもゆとくなといはるるこそいつならひけることそと 心しるとちはあはれかり侍しかさてもなにそと火ともして 見給へはうふかみくろくろとしていまよりみあけ給たるを たた一めみれはをんなひのよしみなれはあはれならすしもな きをそはなるしろき小袖にをしつつみてまくらなるか たなのこかたなにてほそのをうちきりつつかきいたきて人 にもいはすとへいて給ぬとみしよりほか又二たひその面かけ 見さりしこそさらはなとやいま一めもといはまほしけれ とも中々なれは物はいはねと袖の涙はしるかりけるにや/s46r k1-82 よしやよもなからへてあらはみることのみこそあらめなとなく さめらるれと一めみあはせられつるおもかけわすれかたく 女にてさへものし給つるをいかなるかたへとたにしらすなりぬる と思ふもかなしけれともいかにしてといふにさもなけれは 人しれぬねをのみ袖につつみて夜も明ぬれはあまりに ここちわひしくてこのあかつきはやおろし給ぬ女にてなとは みえわく程に侍つるをなとそうしけるぬるけなとおひたた しきにはみなさる事とくすしも申そかまへていたはれ とてくすりともあまた給はせなとするもいとおそろしこと なるわつらひもなくて日かす過ぬれはここなりつる人も かへりなとしたれとも百日すきて御所さまへはまいるへし/s46l k1-83 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/46 とてあれはつくつくとこもりゐたれはよなよなはへたてなくと いふはかりかよひ給もいつとなく世のきこえやとのみ我も人 も思ひたるも心のひまなしさてもこそいてき給し御かた人/s47r k1-84 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/47 [[towazu1-35|<>]]