とはずがたり ====== 巻1 27 十一月の初めつ方に参りたれば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-26|<>]] 十一月の初めつ方に参りたれば、いつしか世の中もひき変へたる心地して、大納言((父、久我雅忠))の面影も、あそこここにと忘られず、身も何とやらん、振舞ひにくきやうに覚え、女院((東二条院・後深草院中宮西園寺公子))の御方ざまも、うらうらともおはしまさず、とにかくにもの憂きやうに思ゆるに、兵部卿((四条隆親))・善勝寺((四条隆顕))などに、「大納言がありつる折のやうに、見沙汰して候はせよ。装束などは上(かみ)へ参るべきものにて」など仰せ下さるるは、かしこき仰せごとなれども、「ただとくして世の常の身になりて、静かなる住まひをして、父母(ちちはは)の後生をもとぶらひ、六趣を出づる身ともがな」とのみ思えて、またこの月の末には出で侍りぬ。 [[towazu1-26|<>]] ===== 翻刻 ===== 十一月のはしめつかたにまいりたれはいつしかよの中もひきかへ/s36l k1-63 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/36 たる心ちして大納言のおも影もあそこここにとわすられ す身もなにとやらんふるまひにくきやうにおほえ女院の 御方さまもうらうらともおはしまさすとにかくに物うき やうにおほゆるに兵部卿善勝寺なとに大納言かあり つるおりのやうに見さたして候はせよしやうそくなとはかみへ まいるへき物にてなとおほせ下さるるはかしこきおほせ ことなれともたたとくしてよのつねの身になりてしつ かなるすまひをしてちちははの後生をもとふらひ六しゆを いつる身ともかなとのみおほえて又この月のすゑには いて侍ぬたいこのせうくてい院の真願房はゆかりある人/s37r k1-64 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/37 [[towazu1-26|<>]]