とはずがたり ====== 巻1 25 暮るれば今宵はいたく更かさでおはしたるさへそら恐しく・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-24|<>]] 暮るれば、今宵はいたく更(ふ)かさで((「更かさで」は底本「ふる(か歟)さて」。「る」に「か歟」と傍書。))おはしたるさへ、そら恐しく、はじめたることのやうに覚えて、ものだに言はれずながら、傅(めのと)の入道((藤原仲綱))なども、出家の後は千本の聖のもとにのみ住まひたれば、いとど立ちまじる男子(おのこご)もなきに、今宵しも、「珍しく里居(さとゐ)したるに」など言ひて来たり。乳母子(めのとご)どもも集ひ居てひしめくも、いとどむつかしきに。御姆(はは)にてありし者は、さしもの古宮((後白河院皇女覲子内親王・宣陽門院))の御所にて生ひ出でたるものともなく、無下に用意なく、ひた騒ぎに、今姫君が母代体(ははしろてい)なるがわびしくて、「いかなることか」と思へども、「かかる人の」など、言ひ知らすべきならねば、火なども灯さで、月影見るよしして、寝所(ねどころ)にこの人をば置きて、障子の口なる炭櫃(すびつ)に寄りかかりて居たる所へ、御姆こそ出で来たれ。 「あな悲し」と思ふほどに、「『秋の夜長く侍り。弾碁(たぎ)しなどして遊ばせ侍らむ』と、御父(てて)申す。入らせ給へ」と訴訟顔(そしようがほ)になりかへりて言ふさまだに、いとむつかしきに、「何事かせまし。誰かし候ふ、かれも候ふ」など、継子・実(じち)の子が名乗り言ひ続け、九献(くこん)((「九献」は底本「しこん」))の式行なふべきこといしいし、伊予の湯桁(ゆげた)とかや、数へゐたるも悲しさに、「心地わびしき」などもてなしてゐたれば、「例の、わらはが申すことをば、御耳に入らず」とて立ちぬ。なまさかしく、「女子をば近くを」にや、言ひならはして、常の居所も庭続きなるに、さまざまのことども聞こゆるありさまは、「夕顔の宿りに踏みとどろかしけん唐臼(からうす)の音をこそ聞かめ((『源氏物語』夕顔「鳴神よりもおどろおどろしく、踏みとどろかす唐臼の音も、枕上と覚ゆ。あな耳かしがましと、これにぞ思さる」))」と思えて、いと口惜し。 「とかくのあらましごとも、まねばむもなかなかにて、もらしぬるも念なく」とさへ思え侍れども、事柄もむつかしければ、「とくだに静まりなん」と思ひて寝たるに、門(かど)いみじく叩きて来る人あり。「誰ならん」と思へば、仲頼((藤原仲頼。作者の乳母子。亀山院近習。))なり。「陪膳(ばいぜん)遅くて」など言ひて、「さてもこの太宮の隅に、ゆゑある八葉の車が立ちたるを、うち寄りて見れば、車の中に供の人は一はた寝たり。とうに牛は繋ぎてありつる。いづくへ行きたる人の車ぞ」と言ふ。「あな、あさまし」と聞くほどに、例の御姆、「いかなる人ぞと、人して見せよ」と言ふ。御父(てて)が声にて、「何しにか見せける。人の上ならむに。よしなし。また、御里居の暇をうかがひて、忍びつつ入りおはしたる人もあらば、築地(ついぢ)の崩れより、『うちも寝ななむ』とてもやあるらん。懐(ふところ)の内なるだに、高きも賤しきも、女は後ろめたなし((「後ろめたなし」は底本「うしろめためし」))」など言へば、また御姆、「あな、まがまがし。誰か参り候はん。御幸ならば、またなにゆゑか忍び給はん」など言ふも、ここもとに聞こゆ。「『六位宿世((『源氏物語』少女「『めでたくとも、もののはじめの六位宿世よ』とつぶやくも、ほの聞こゆ」))』とや、とがめられん」と、御姆なる人言はるるぞわびしき。 子さへ今一人添ひてひしめくほどに、寝ぬべきほどもなきに、聞こゆる者ども出で来たりとおぼしくて、「こなたへと申せ」とささめく人来て、案内(あんない)すなり((「すなり」は底本「すな□(り歟)」。一字空白に「り歟」と傍書。))。前なる人、「御心地を損じて」と言ふに、内の障子荒らかに打ち叩きて、御姆来たり。 今さら知らぬ者の来ん心地して、胸騒ぎ恐しきに、「御心地は何事ぞ。ここなるもの御覧ぜよ。なうなう」と、枕の障子を叩く。さてしも、あるべきならねば、「心地のわびしくて」と言へば、「御好みの白物なればこそ申せ。無き折は御尋ねある人の申すとなれば、例のこと。さらば、さてよ」とつぶやきて去ぬ。「をかしくもありぬべき言の葉ども言ひぬべき」と思ゆるを、死ぬばかりに覚えてゐたるに、「御尋ねの白物は何にか侍る」と尋ねらる。「霜・雪・霰(あられ)」とやさばむとも、まことしく思ふべきならねば、ありのままに、「世の常ならず。白き色なる九献(くこん)を、時々願ふことの侍るを、かく名立たしく((「名立たしく」は底本「石(名歟)たたしく」。「石」に「名歟」と傍書。))申すなり」といらふ。「かしこく今宵参りてけり。御渡りの折は、唐土(もろこし)までも白き色を尋ね侍らむ」とて、うち笑はれぬるぞ、忘れがたきや。 憂き節には、これほどなる思ひ出で、過ぎにし方も行く末も、またあるべしとも覚えず((「思えず」は底本「覚えはてよ」。))。 [[towazu1-24|<>]] ===== 翻刻 ===== になとつねよりもこまやかなるもいとあさましくるれはこよ ひはいたくふる(か歟)さておはしたるさへ空おそろしく はしめたる事のやうに覚えて物たにいはれすなからめ のとの入道なとも出家ののちはせんほんのひしりのもとに のみすまゐたれはいととたちましるおのここもなきにこよひ しもめつらしくさとゐしたるになといひてきたりめの とことももつとひゐてひしめくもいととむつかしきに御はは にてありしものはさしものふる宮の御所にておいいてたる物とも なくむけにようゐなくひたさはきにいまひめ君かははし ろていなるかわひしくていかなる事かと思ゑともかかる 人のなといひしらすへきならねは火なともともさて月影/s33l k1-57 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/33 みるよししてね所にこの人をはをきてしやうしのくちなる すひつによりかかりてゐたる所へ御ははこそいてきたれ あなかなしと思ほとに秋の夜なかく侍たきしなとして あそはせ侍らむと御てて申いらせ給へとそせうかほになり かへりていふさまたにいとむつかしきになに事かせまし たれかしさふらふかれも候なとままこしちのこかなのりいひ つつけしこんのしきをこなうへきこといしいしいよのゆ けたとかやかそへゐたるもかなしさに心ちわひしきなともて なしてゐたれはれいのわらはか申事をは御みみにいらす とてたちぬなまさかしく女こをはちかくをにやいひな らはしてつねのゐ所もにはつつきなるにさまさまの事とも/s34r k1-58 きこゆるありさまは夕かほのやとりにふみととろかしけん からうすのをとをこそきかめとおほえていとくちおし とかくのあらましこともまねはむも中々にてもらしぬるも ねんなくとさへおほえ侍れともことからもむつかしけれは とくたにしつまりなんと思てねたるにかといみしくたた きてくる人あり誰ならんとおもへはなかよりなりはい せんをそくてなといひてさてもこの太宮のすみにゆへ ある八ようの車かたちたるをうちよりてみれはくるまの中に ともの人は一はたねたりとうにうしはつなきてありつるいつ くへ行たる人のくるまそといふあなあさましときく程に れいの御ははいかなる人そと人してみせよといふ御ててかこゑ/s34l k1-59 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/34 にてなにしにかみせける人のうへならむによしなし又 御さとゐのひまをうかかひて忍つつ入おはしたる人もあらは ついちのくつれよりうちもねななむとてもやあるらんふと ころのうちなるたにたかきもいやしきも女はうしろめ ためしなといへは又御ははあなまかまかしたれかまいり候はん 御幸ならは又なにゆへかしのひ給はんなといふもここもとに きこゆ六位しゆくせとやとかめられんと御ははなる人い はるるそわひしきこさへいま一人そひてひしめく程にねぬ へきほともなきにきこゆる物ともいてきたりとおほしくて こなたへと申せとささめく人きてあんないすな□(り歟)まへなる 人御心ちをそむしてといふにうちのしやうしあららかに/s35r k1-60 うちたたきて御ははきたりいまさらしらぬもののこん心ちして むねさはきおそろしきに御心ちはなに事そここなるもの 御らんせよなうなうとまくらのしやうしをたたくさてしも あるへきならねは心ちのわひしくてといへは御このみのしろ 物なれはこそ申せなきおりは御たつねある人の申すとなれは れいのことさらはさてよとつふやきていぬをかしくも ありぬへきことの葉ともいひぬへきとおほゆるをしぬはかりに おほえてゐたるに御たつねのしろ物はなににか侍とたつね らるしも雪あられとやさはむともまことしくおもふへき ならねはありのままによのつねならすしろき色なるく こんをときときねかふ事の侍をかく石(名歟)たたしく/s35l k1-61 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/35 申なりといらふかしこくこよひまいりてけり御わたりの をりはもろこしまてもしろき色をたつね侍らむとて うちわらはれぬるそわすれかたきやうきふしにはこれ程 なる思いて過にしかたも行すゑも又あるへしとも覚え はてよかくしつつあまた夜もかさなれは心にしむふしふし/s36r k1-62 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/36 [[towazu1-24|<>]]