とはずがたり ====== 巻1 24 十日あまりのころにやまた使あり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-23|<>]] 十日あまりのころにや、また使(つかひ)あり((雪の曙からの使。))。「日を隔てずも申したきに、御所の御使など見合ひつつ、ころとも知らでや思し召されんと、心のほかなる日数積る」など言はるるに、この住まひは四条大宮の隅(すみ)なるが、四条面(おもて)と大宮との隅の築地(ついぢ)いたう崩れのきたる所に、猿捕(さるとり)といふ茨(うばら)を植ゑたるが、築地の上へ這ひ行きて、本(もと)の太きがただ二本(もと)あるばかりなるを、この使見て、「『ここには番の人侍る』など言ふに、『さもなし』と人言へば、『さては、ゆゆしき御通ひ路になりぬべし』と言ひて、この茨のもとを刀して切りてまかりぬ」と言へば、「とは何事ぞ」と思へども、必ずさしも思ひよらぬほどに、子一つばかりにもやと思ふ月影に、妻戸を忍びて叩く人あり。 中将といふ童(わらは)、「水鶏(くゐな)にや。思ひよらぬ音かな」と言ひて、開くると聞くほどに、いと騒ぎたる声にて、「ここもとに立ち給ひたるが、『立ちながら対面せん』と仰せらるる」と言ふ。思ひよらぬほどのことなれば、何といらへ言ふべき言の葉もなく、あきれゐたるほどに、かく言ふ声をしるべに、やがてここもとへ入り給ひたり。 紅葉(もみぢ)を浮き織りたる狩衣に、紫苑にや、指貫の、ことにいづれもなよらかなる姿にて、まことに忍びけるさまもしるきに、思ひよらぬ身のほどにもあれば、「御心ざしあらば、後瀬の山の後には」など言ひつつ、今宵は逃れぬべく、あながちに言へば、「かかる御身のほどなれば、つゆ御後ろめたき振舞ひあるまじきを、年月の心の色を、ただのどかに言ひ聞かせん。よその仮り臥しは御裳濯河(みもすそがは)の神も許し給ひてん」など、心清く誓ひ給へば、例の心弱さは否(いな)とも言ひ強(つよ)り得でゐたれば、夜の御座(おまし)にさへ入り給ひぬ。 長き夜すがら、とにかくに言ひつづけ給ふさまは、げに唐国の虎((「虎」は底本「とゝ(ら歟)」。「ゝ」に「ら歟」と傍注。))も涙落ちぬべきほどなれば、岩木(いはき)ならぬ心には、「身に代へん」とまでは思はざりしかども、心のほかの新枕は、「御夢にや見ゆらん」と、いと恐し。 鳥の音(ね)におどろかされて、夜深く出で給ふも、名残を残す心地して、「また寝にや」とまでは思はねども、そのままにて臥したるに、まだ東雲(しののめ)も明けやらぬに、文あり。   「帰るさは涙にくれてありあけの月さへつらき東雲の空 いつのほどに積りぬるにか、暮れまでの心づくし、消えかへりぬべきを、なべてつつましき世の憂さも」などあり。 御返事には、   帰るさの袂(たもと)は知らず面影は袖の涙にありあけの空 かかるほどには、しひて逃れつるかひなくなりぬる身の式(しき)もかこつ方なく、「いかにも、はかばかしからじ」と思ゆる行く末も推し量られて、人知らぬ泣く音(ね)も露けき昼つ方、文あり((後深草院の文))。 「いかなる方に思ひなりて、かくのみ里住み久し((「久し」は底本「く(久歟)し」。「く」に久歟」と傍書。))かるらん。このごろは、なべて御所ざまもまぎるる方なく、御人少ななるに」など、常よりも細やかなるも、いとあさまし。 [[towazu1-23|<>]] ===== 翻刻 ===== 出へき心ちもせて神無月にもなりぬ十日あまりの比にや 又つかひあり日をへたてすも申たきに御所の御使なとみ あひつつころともしらてやおほしめされんと心のほかなる 日かすつもるなといはるるにこのすまひは四条大宮のす みなるか四条おもてと大宮とのすみのついぢいたう くつれのきたる所にさるとりといふうはらをうへたるか ついちのうへへはひ行てもとのふときかたた二もとあるはかり なるをこのつかひみてここにははんの人侍るなといふにさも なしと人いへはさてはゆゆしき御かよひちに成ぬへし/s31l k1-53 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/31 といひてこのむはらのもとをかたなしてきりてまかりぬと いへはとはなに事そと思へともかならすさしも思よらぬ ほとにねひとつはかりにもやとおもふ月かけにつまとを忍て たたく人あり中将といふわらはくゐなにや思よらぬをと かなといひてあくるときく程にいとさはきたるこゑにて ここもとにたち給たるか立なからたいめむせんとおほせらるる といふ思よらぬ程の事なれはなにといらへいふへきこと の葉もなくあきれゐたるほとにかくいふこゑをしるへに ややかてここもとへいり給たりもみちをうきをりたるかり きぬにしをんにやさしぬきのことにいつれもなよらかなる すかたにてまことにしのひけるさまもしるきに思ひよらぬ/s32r k1-54 身の程にもあれは御心さしあらはのちせの山の後には なといひつつこよひはのかれぬへくあなかちにいへはかかる 御身のほとなれはつゆ御うしろめたきふるまひあるま しきをとし月の心の色をたたのとかにいひきかせん よそのかりふしはみもすそ河の神もゆるし給てんなと心 きよくちかひ給へはれいの心よはさはいなともいひつよりえて ゐたれはよるのおましにさへいり給ぬなかき夜すからとに かくにいひつつけ給さまはけにから国のとゝ(ら歟)も涙おちぬへき 程なれはいは木ならぬ心には身にかへんとまては思はさり しかとも心の外のにゐ枕は御夢にやみゆらんといとお そろし鳥の音におとろかされて夜ふかくいて給も名残/s32l k1-55 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/32 をのこすここちして又ねにやとまては思はねともそのまま にてふしたるにまたしののめもあけやらぬに文あり  かへるさは涙にくれて有明の月さへつらきしののめの空 いつの程につもりぬるにかくれまての心つくしきえかへり ぬへきをなへてつつましき世のうさもなとあり御返事には  帰るさのたもとはしらすおもかけは袖の涙にありあけのそら かかる程にはしゐてのかれつるかひなくなりぬる身のしきも かこつ方なくいかにもはかはかしからしとおほゆる行すゑ もをしはかられて人しらぬなくねも露けきひるつかた 文ありいかなるかたに思なりてかくのみさとすみく(久歟)しかるらん この比はなへて御所さまもまきるるかたなく御人すくななる/s33r k1-56 になとつねよりもこまやかなるもいとあさましくるれはこよ/s33l k1-57 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/33 [[towazu1-23|<>]]