とはずがたり ====== 巻1 23 四十九日には雅顕の少将が仏事・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-22|<>]] 四十九日には、雅顕(まさあき)の少将((久我雅顕。久我雅忠の子。作者の異母兄弟。))が仏事。河原院の聖、例の「鴛鴦の衾の下、比翼の契」とかや、これにさへ言ひ古しぬること果てて後、憲実法印導師にて、文どもの裏に身づから法華経を書きたりし、供養せさせなどせしに、三条の坊門の大納言((中院通頼))、万里小路(までのこうぢ)((北畠師親))、善勝寺の大納言((四条隆顕))など、「聴聞に」とておはして、面々に弔ひつつ帰る名残も悲しきに、今日は行き違ひなれば、乳母(めのと)が宿所、四条大宮なるにまかりぬ。帰る袂の袖の露は、かこつ方なきに、何となく集ひ居て、歎かしさをも言ひ合はせつる人々にさへ離れて、一人居たる心の内、言はん方なし。 さても、いぶせかりつる日数のほどにだに、忍びつつ入らせおはしまして、「なべてやつれたるころなれば、色の袂も苦しかるまじければ、五十日忌((「五十日忌」は底本「いかき」。集成・新大系・筑摩叢書の説に従う。))五旬過ぎなば、参るべき」よし、仰せあれども、よろづもの憂き心地して、こもり居たるに、四十九日は九月二十三日なれば、鳴き弱りたる虫の音も、袖の露を言問ひて、いと悲し。御所よりは、「さのみ里住(さとず)みも、いかに、いかに」と仰せらるるにも、動かれねば、いつさし出づべき心地もせで、神無月にもなりぬ。 [[towazu1-21|<>]] ===== 翻刻 ===== 四十九日にはまさあきの少将か仏事かはらの院のひしりれいの ゑんあふのふすまのしたひよくの契とかやこれにさへいひふるし ぬる事はててのちけんしち法印導師にて文とものうら に身つから法花経をかきたりしくやうせさせなとせしに/s30l k1-51 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/30 三条の坊門の大納言まてのこうちせんせうしの大納言なと ちやうもむにとておはしてめんめんにとふらひつつかへる なこりもかなしきに今日はゆきちかひなれはめのとか宿所 四条大宮なるにまかりぬ帰るたもとの袖の露はかこつ方な きになにとなくつとひゐてなけかしさをもいひあはせ つる人々にさへはなれてひとりゐたる心のうちいはん方 なしさてもいふせかりつる日数の程にたにしのひつつい らせおはしましてなへてやつれたる比なれは色のたもとも くるしかるましけれはいかき五じゆんすきなはまいるへ きよしおほせあれともよろつ物うき心ちしてこも りゐたるに四十九日は九月廿三日なれはなきよはりたるむしの/s31r k1-52 音も袖の露をこととひていとかなし御所よりはさのみさと すみもいかにいかにとおほせらるるにもうこかれねはいつさし 出へき心ちもせて神無月にもなりぬ十日あまりの比にや/s31l k1-53 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/31 [[towazu1-22|<>]]