とはずがたり ====== 巻1 21 五日夕方仲綱濃き墨染の袂になりて参りたるを見るにも・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-20|<>]] 五日夕方、仲綱、濃き墨染の袂になりて参りたるを見るにも、大臣の位にゐ給はば、四品の家司(けいし)などにてあるべき心地をこそ思ひつるに、思はずに、「ただ今、かかる袂を見るべくとは」と、いと悲しきに、「御墓へ参り侍り。御言付けや」と言ひて、彼も墨染の袂乾く所なきを見て、涙落さぬ人なし。 九日は、初めの七日に、北の方・女房二人・侍二人、出家し侍りぬ。八坂の聖を呼びつつ、「流転三界中」とて、剃り捨てられしを見る心地、うらやましさを添へて、あはれも言はむ方なし。 「同じ道に」とのみ思へども、かかる折節なれば、思ひよるべきことならねば、かひなき音(ね)のみ泣きゐたるに、三七日をばことさら取り営みしに、御所よりも、まことしく、さまざまの御弔(とぶら)ひもあり。 御使は、一・二日に隔てず承るにも、「見給はましかば」とのみ悲しきに、京極の女院((洞院佶子))と申すは、実雄の大臣((洞院実雄))の御女(むすめ)、当代((亀山天皇))の后、皇后宮とて、御おぼえも人にはことにて、春宮((後宇多天皇))の御母にておはします上は、御身柄(みがら)といひ、御年といひ、惜しかるべき人なりしに、常は物の怪にわづらひ給へば、「また、このたびもさにや」など、みな思ひたるに、「はや御こときれぬ」と言ひ騒ぐを聞くにも、大臣(おとど)の歎き、内の御思ひ、身に知れていと悲し。 五七日にもなりぬれば、水晶の数珠(すず)に((「数珠(すず)に」は底本「すすに(二歟)」。「に」に「二歟」と傍書。傍書を採用する説(新大系)・衍字とみて削除する説(集成)などがあるが、「をみなへし」と続くことから、「をゝ」の誤写とする説(角川文庫)を採った。))、女郎花の打ち枝に付けて、「風誦(ふじゆ)((「風誦」は底本「ふしや」))に((後深草院の言葉))」とて給ふ。同じ札に、   さらでだに秋は露けき袖の上に昔を恋ふる涙添ふらん かやうの文をも、「いかにせん」と、もてなし喜ばれしに、「苔の下にもさこそと、置き所なくこそ」とて、   思へたださらでも濡るる袖の上にかかる別れの秋の白露(しらつゆ) 頃しも秋の長き寝覚めは、ものごとに悲しからずといふことなきに、千声万声の砧(きぬた)の音((「千声万声」は底本「千万声」。白居易『聞夜砧』「八月九月正長夜、千声万声無了時」による。))を聞くにも、袖にくだくる涙の露を片敷きて((『新古今和歌集』秋下 式子内親王「千たびうつ砧の音に夢覚めて物思ふ袖の露ぞくだくる」))、むなしき面影をのみ慕ふ。 露消えにし朝(あした)は、御所御所の御使より始め、雲の上人おしなべて訪ね来ぬ人もなく、使をおこせぬ人なかりし中に、基具(もととも)の大納言((堀川基具))、一人訪れざりしも、世の常ならぬことなり。 [[towazu1-20|<>]] ===== 翻刻 ===== 五日夕かたなかつなこきすみそめのたもとになりてま いりたるをみるにも大臣のくらゐにゐ給はは四品の家司 なとにてあるへき心ちをこそ思つるにおもはすにたたいま かかるたもとを見るへくとはといとかなしきに御はかへ/s28r k1-46 まいり侍御ことつけやといひてかれもすみそめの袂かはく所 なきをみて涙おとさぬ人なし九日ははしめの七日に 北方女房二人さふらひ二人出家し侍ぬやさかのひしりをよ ひつつるてん三界中とてそりすてられしをみる ここちうらやましさをそへてあはれもいはむかたなし おなしみちにとのみ思へともかかるおりふしなれは 思よるへき事ならねはかひなきねのみなきゐたるに三 七日をはことさらとりいとなみしに御所よりもまことし くさまさまの御とふらひもあり御使は一二日にへたて すうけ給はるにもみ給はましかはとのみかなしきに京極 の女院と申はさねをのおととの御むすめ当代のきさき/s28l k1-47 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/28 皇后宮とて御おほえも人にはことにて春宮の御母にてお はしますうへは御みからといひ御としといひおしかるへき人 なりしにつねはもののけにわつらひ給へは又このたひもさに やなとみな思たるにはや御こときれぬといひさはくをきく にもおととのなけきうちの御おもひ身にしれていとかなし 五七日にもなりぬれはすいしやうのすすに(二歟)をみなへしの うち枝につけてふしやにとて給ふおなしふたに  さらてたに秋は露けき袖の上に昔をこふる涙そふらん かやうの文をもいかにせんともてなしよろこはれしに こけのしたにもさこそとをき所なくこそとて  思へたたさらてもぬるる袖の上にかかるわかれの秋のしら露/s29r k1-48 ころしも秋のなかきねさめは物ことにかなしからすといふ 事なきに千万声のきぬたのをとをきくにも袖にくたくる 涙の露をかたしきてむなしきおも影をのみしたふ露 きえにし朝は御所御所の御つかひよりはしめ雲のうへ人 をしなへてたつねこぬ人もなくつかひををこせぬ人なかりし 中にもとともの大納言ひとりをとつれさりしもよの つねならぬ事なりそのおりのそのあかつきより日をへたて/s29l k1-49 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/29 [[towazu1-20|<>]]