とはずがたり ====== 巻1 8 幼くよりさぶらひなれたる御所とも思えず・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-07|<>]] 幼くよりさぶらひなれたる御所とも思えず、恐しくつつましき心地して、立ち出づらんことも悔しく、「何となるべきことにか」と思ひ続けられて、また涙のみいとまなきに、「大納言の音(をと)するは、おぼつかなく思ひてか」とあはれなり。 善勝寺((四条隆顕))仰せのやう伝ふれば、「今さら、かくなかなかにては悪しくこそ。ただ日ごろのさまにて召し置かれてこそ、忍ぶにつけて洩れん名も、なかなかにや」とて、出でられぬる音(をと)するも、「げにいかなるべきことにか」と、いまさら身の置き所なき心地するも悲しきに、入らせ給ひて、尽きせぬことをのみ承はるを、さすが次第に慰まるるこそ、「これや逃れぬ御契りならむ」と思ゆれ。 十日ばかり、かくて侍りしほどに、夜離(よが)れなく見奉るにも、「煙の末((雪の曙・西園寺実兼を指す。[[towazu1-05|1-05]]参照。))いかが」と、なほも心にかかるぞ、うたてある心なりし。 [[towazu1-07|<>]] ===== 翻刻 ===== 入せ給ぬおさなくよりさふらひなれたる御所ともおほえす おそろしくつつましき心ちしてたち出つらんこともくや しくなにとなるへき事にかと思つつけられて又涙のみ いとまなきに大納言のをとするはおほつかなく思てかとあは れなり善勝寺おほせのやうつたうれはいまさらかく中々 にてはあしくこそたた日ころのさまにてめしをかれて こそ忍につけてもれん名も中々にやとて出られぬるをと するもけにいかなるへき事にかといまさら身のをき所なき/s13r k1-16 心ちするもかなしきにいらせ給てつきせぬ事をのみうけ 給はるをさすかしたいになくさまるるこそこれやのかれぬ 御契りならむとおほゆれ十日はかりかくて侍し程によかれ なくみたてまつるにもけふりのすゑいかかとなをも心に かかるそうたてある心なりしさてしもかくては中々/s13l k1-17 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/13 [[towazu1-07|<>]]