とはずがたり ====== 巻1 6 かくて日暮らし侍りて湯などをだに見入れ侍らざりしかば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[towazu1-05|<>]] かくて、日暮らし侍りて、湯などをだに見入れ侍らざりしかば、「別(べち)の病にや」など申しあひて、暮れぬと思ひしほどに、「御幸」と言ふ音すなり。 「また、いかならむ」と思ふほどもなく、引き開けつつ、いと馴れ顔に入りおはしまして、「悩ましくすらんは何事にかあらん」など、御尋ねあれども、御いらへ申すべき心地もせず。ただうち臥したるままにてあるに、添ひ臥し給ひて、「さまざま承はりつくすも、今やいかが」とのみ思ゆれば、「なき世なりせば((『古今和歌集』恋四 よみ人しらず「いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし」))」と言ひぬべきにうち添へて、「思ひ消えなん夕煙、一方にいつしかなびきぬ(([[towazu1-05|前ページ]]の雪の曙の歌をふまえる。))と知られんも、あまり色なくや」など、思ひわづらひて、つゆの御いらへも聞こえさせぬほどに、今宵はうたて情けなくのみあたり給ひて、薄き衣はいたくほころびてけるにや、残るかたなくなり行くにも、世に有明の名さへ恨めしき心地して、   心よりほかにとけぬる下紐(したひぼ)のいかなる節に憂き名流さん など、思ひ続けしも、心はなほありけると、われながらいと不思議なり。 「形は世々(よよ)に変るとも、契は絶えじ。あひ見る夜半(よは)は隔つとも、心の隔てはあらじな」と、数々承はるほどに、結ぶほどなき短か夜は、明けゆく鐘の音すれば、「さのみ明け過ぎて、もて悩まるるも所狭(ところせ)し」とて、起き出で給ふが、「明かぬ名残などはなくとも、見だに送れ」と、せちにいざなひ給ひしかば、これさへ、さのみつれなかるべきにもあらねば、夜もすがら泣き濡らしぬる袖の上に、薄き単(ひとへ)ばかりを引きかけて、立ち出でたれば、十七日の月、西に傾(かたぶ)きて、東は横雲わたるほどなるに、桜萌黄(さくらもよぎ)((「桜」は底本「まくら」))の甘(かん)の御衣(おんぞ)に、薄色の御衣、固文(かたもん)の御指貫、いつよりも目止まる心地せしも、「誰(た)が習はしにか」と、おぼつかなくこそ。 [[towazu1-05|<>]] ===== 翻刻 ===== 侍きかくて日くらし侍てゆなとをたにみ入侍らさりし かはへちのやまひにやなと申あひて暮ぬとおもひし 程に御幸といふをとす也又いかならむと思ふほともなくひき あけつついとなれかほに入おはしましてなやましくすらんは なに事にかあらんなと御たつねあれとも御いらへ申へき 心ちもせすたたうちふしたるままにてあるにそひふし給て さまさまうけ給つくすもいまやいおかかとのみおほゆれはなき 世なりせはといひぬへきにうちそへて思きえなん夕煙 一かたにいつしかなひきぬとしられんもあまり色なくや なと思わつらひてつゆの御いらへもきこえさせぬ程に/s11r k1-12 こよひはうたてなさけなくのみあたり給てうすき衣はい たくほころひてけるにやのこるかたなくなり行にも世にあり あけの名さへうらめしき心地して  心よりほかにとけぬる下ひほのいかなるふしにうき名なかさん なと思つつけしも心は猶ありけると我なからいとふしき なりかたちはよよにかはるとも契はたえしあひみる夜はは へたつとも心のへたてはあらしなと数々うけ給はるほとに むすふ程なきみしか夜は明ゆく鐘のをとすれはさのみ明 すきてもてなやまるるも所せしとておきいて給ふか あかぬなこりなとはなくとも見たにをくれとせちにいさ なひ給しかはこれさへさのみつれなかるへきにもあらねは/s11l k1-13 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/11 夜もすからなきぬらしぬる袖のうへにうすきひとへはかりを ひきかけて立いてたれは十七日の月にしにかたふきて 東はよこ雲わたる程なるにまくらもよきのかんの御そに うす色の御そかたもんの御さしぬきいつよりもめとまる心ち せしもたかならはしにかとおほつかなくこそたかあきの大納言/s12r k1-14 http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/12 [[towazu1-05|<>]]