沙石集 ====== 巻10第7話(125) 述懐の事 ====== ===== 校訂本文 ===== そもそも、この物語の旨趣、序に書き付け侍りといへども、なほ意つきがたきゆゑに、重ねてその志を書き置き侍るなり。 世間の見所ある古集物語多しといへども、近代のことは書き置く人も侍らざるにや、代の末に聞こえざらんことも名残なく覚え侍るままに、愚かなる人の心を勧むるたよりにやとて、つたなき言葉をはばからず、これを集む。 慧心僧都((恵心僧都・源信))の往生要集の中に言へることあり。「麁強(そがう)の煩悩は人をして覚(かく)せしむ。ただ無義の談話のみ覚えずして、常に道を障(さ)ふ」となん言へり。まことに、読誦・念仏・座禅・観法には、時刻も久しく覚え、無益の物語には、日の暮れ、夜の更くるも覚えぬは、人の常の心なり。その物語、多くは、よしなき人の上、跡なきそぞろごとなり。口の過(とが)多く、意のおもはかりおろかなり。さるにつけては、流転生死の縁たることは多く、後生菩提のたよりとなることはまれなり。 このゆゑに、かの暇(いとま)にかへて、この物語を見給はば、楔(くさび)をもつて楔を抜き、毒をもつて毒をせむる心なるべし。また、おのづから和光の深き意をも知り、仏陀の広き恵みをもあふぎ、僧宝の妙なる徳をも敬ひ、在家の素直なる跡をも学び、因果の理を信じ、賢愚の器(うつはもの)をわきまへ、教門のかすかなるおもむきを悟り、隠遁のかしこき道に入りて、つひに終り乱れぬ人やおはするとて、思ひ出づるに随(したが)ひて、そこはかとなきことを書き付け侍(はんべ)り。賢き人の前に勧めがたしといへども、やむごとなくして書き集め侍り。 もとより、田舎の山里に生長して、文章にも暗く、歌道にもうとく、仏法はまた一宗をもまことしく学せず。ひたそらの山賤(やまがつ)にて侍れば((「侍れば」は底本「侍シハ」。文脈により訂正。))、かたはらいたく、かたくななること多くこそ侍れ。 ただ、度世のわづらひを逃れんために、人まねに遁世の門に入りて、実なしといへども、さすがに出離の要法をのみ問ひ訪(とぶら)ひ、隠遁の人にのみ近付き侍るままに、道心なく志薄しといへども、望む所は菩提の道、学ぶ法は解脱の門なり。このゆゑに、諸宗の肝心の法門、経論の至要の文義、久しく聞き置き侍るを、世間のこと、雑談の中に思ひ出づるに随ひて、書き交へ侍るなり。これ、在家の男女の仏法値遇の縁とせんとばかり侍るなり。 田舎の山里の柴の庵にして、書籍も身にそへ侍らず。手にまかせて、その意ばかりやはらげて書つらね侍れば、僻事(ひがごと)も侍らめども、「その趣(おもむき)、仏法の大意にたがはずば、利益むなしからじ」と思ひ侍るばかりなり。大綱を信じ給ふ人おはせば、願ふ所なり。 昔の物語、やさしく面白けれども、法門は見え侍らぬにや。まことに益少なし。漢家には荊渓((湛然))の金錍論、本朝には吏部((式部の唐名。紫式部を指す。))が源氏の物語((源氏物語))、みな物によそへたる作り事なれども、あるいは世の人の情けあらんことを思ひ、あるいは仏法の義理をわきまへしめんために、その跡(あと)を残す。 これも、見聞の世間のことによせて、出世解脱の道を知らしむ。古今異れども、その志同じきものなり。いはんや、このこと、みなたしかに見聞き侍ることを記せり。作り事にあらず。 心あらん人、この志を助けて、誤りを正し直し給ひて、愚かなる人を導く媒(なかだち)として、見聞随喜の輩(ともがら)、当来の互ひの知識として、ともに讃仏乗の因、転法輪の縁とし、発菩提心の種とし、如説修行の糧(かて)とせんとなり。弟子か本意、これにあり。 南無仏陀三宝、南無和光善神、擁護をたれ、冥助を加へて、仏子の心願を助け、遐代(かだい)に流通し、群迷を導く因縁とし給へ。 時に弘安六年中秋、草し畢はんぬ。林下の貧士無住。 ===== 翻刻 =====   述懐事 抑此物語之旨趣序ニ書付侍リトイヘトモ猶意ツキカタキ 故ニ重テ其志ヲ書置侍ナリ世間ノ見トコロアル古集物語 多シトイヘ共近代ノ事ハ書置人モ侍ラサルニヤ代ノ末ニ聞 ヘサラン事モナコリナク覚侍ママニヲロカナル人ノ心ヲススムル タヨリニヤトテツタナキ詞ヲハハカラス是ヲ集ム慧心僧都ノ往 生要集ノ中ニイヘルコトアリ麁強ノ煩悩ハ人ヲシテ覚セシム只 無義ノ談話ノミ覚ヘスシテ常ニ道ヲサフトナン云リ誠ニ読誦 念仏坐禅観法ニハ時刻モ久ク覚ヘ無益ノ物語ニハ日ノ クレ夜ノフクルモ覚ヘヌハ人ノ常ノ心也其物カタリ多クハヨ シナキ人ノ上跡ナキソソロ事ナリ口ノトカ多ク意ノオモハカリ ヲロカナリサルニツケテハ流転生死ノ縁タル事ハ多ク後生菩/k10-386r 提ノタヨリトナル事ハ希也此故ニカノイトマニカヘテ此物語 ヲ見給ハハクサヒヲ以クサヒヲヌキ毒ヲ以毒ヲセムル心ナルヘ シ又ヲノツカラ和光ノフカキ意ヲモシリ仏陀ノヒロキメクミヲモ アヲキ僧宝ノタヘナル徳ヲモウヤマヒ在家ノスナヲナルアトヲモ マナヒ因果ノ理ヲ信シ賢愚ノ器ヲワキマヘ教門ノカスカナルオ モムキヲサトリ隠遁ノカシコキ道ニ入テ終ニヲハリミタレヌ人ヤ オハスルトテ思出ルニ随テソコハカトナキ事ヲ書付ハンヘリ賢 キ人ノ前ニススメカタシトイヘ共ヤム事ナクシテ書集ハンヘリモト ヨリ田舎ノ山里ニ生長テ文章ニモクラク歌道ニモウトク仏 法ハ又一宗ヲモマコトシク学セスヒタソラノ山カツニテ侍シハ カタハライタクカタクナナル事多クコソ侍レ只度世ノワツラヒヲ ノカレン為ニ人マネニ遁世ノ門ニ入テ実ナシトイヘトモサスカ/k10-386l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=385&r=0&xywh=-2345%2C557%2C5805%2C3451 ニ出離ノ要法ヲノミ問訪ヒ隠遁ノ人ニノミ近付ハンヘルママ ニ道心ナク志ウスシトイヘ共望ム所ハ菩提ノ道学フ法ハ解 脱ノ門也此故ニ諸宗ノ肝心ノ法門経論ノ至要ノ文義 久ク聞ヲキ侍ヲ世間ノ事雑談ノ中ニ思出ルニ随テ書交ヘ 侍也是在家ノ男女ノ仏法値遇之縁トセント計侍也田舎 ノ山里ノ柴ノ庵ニシテ書籍モ身ニソヘハンヘラス手ニマカセテソ ノ意ハカリヤハラケテ書ツラネハンヘレハ僻事モ侍ラメ共其趣 キ仏法ノ大意ニタカハスハ利益空シカラシト思侍計ナリ大 綱ヲ信シ給人オハセハ願フ所ナリ昔シノ物カタリヤサシク面 白ケレ共法門ハ見ヘ侍ラヌニヤ誠ニ益スクナシ漢家ニハ荊 渓ノ金錍論本朝ニハ吏部カ源氏ノ物語皆物ニヨソヘタル 作リ事ナレ共或ハ世ノ人ノ情ケアラン事ヲ思ヒ或ハ仏法ノ/k10-387r 義理ヲワキマヘシメン為ニ其アトヲ残ス是モ見聞ノ世間ノコ トニヨセテ出世解脱ノ道ヲシラシム古今コトナレ共其志同キ 者也況ヤ此事皆慥ニ見聞侍事ヲ記セリ作リ事ニアラス心 アラン人此志ヲタスケテアヤマリヲタタシナオシ給テヲロカナル 人ヲ導クナカタチトシテ見聞随喜ノ輩当来ノ互ノ知識トシテ共 ニ讃仏乗ノ因転法輪ノ縁トシ発菩提心之種トシ如説修 行ノ糧トセント也弟子カ本意是ニアリ南無仏陀三宝南 無和光善神擁護ヲタレ冥助ヲクハヘテ仏子之心願ヲ助ケ 遐代ニ流通シ群迷ヲ導ク因縁トシ給ヘ于時弘安六年中 秋草畢林下之貧士無住/k10-387l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=386&r=0&xywh=-2475%2C399%2C5805%2C3451