沙石集 ====== 巻3第2話(22) 美言感ある事 ====== ===== 校訂本文 ===== 下総国のある地頭、領家の代官と相論のことありて、鎌倉にて対決す。泰時((北条泰時))の御代官の時なり。 重々の訴陳(そちん)の後、領家の方に肝心の道理を申し立てたる時、地頭、手をはたと打ちて、泰時の方へ向ひて、「あら、負けや」と言ふ時、座席の人ども、「は」と笑ひける時、泰時、うちうなづきて、「いみじく負け給ひぬるものかな。泰時、御代官として、年久しく成敗つかまつるに、いまだかくのごとくのこと承らず。『あはれ、負けぬる』と聞こゆる人も、かなはぬものゆゑ、一言葉(ひとことば)も陳じ申す習ひなるに、われと負け給へること、めづらしく侍り。前の重々の訴陳は、一往さもと聞こゆ。今、領家の御代官の申さるるところ、肝心と聞こゆるにしたがひて、陳状なく負け給へること、かへすがへすいみじく聞こえ侍り。正直の人にておはしけり」とて、うち涙ぐみて、感じ申されければ、笑ひつる人々、みな苦(にが)りてぞ見えける。 さて、領家の代官も、「日ごろは、ことの子細、聞きほどき給はざりけり。ことさらの僻事(ひがごと)なかりけるにこそ」とて、負けやうを感じて、六年の未進の物、三年は免してけり。わりなき情けなり。これこそ、「負けたればこそ、勝ちたれ(([[ko_shaseki03a-01|前話]]参照))」の風情にて侍れ。 されば、人は道理をわきまへ、正直なるべき者なり。世間出世、ともに正直なるは徳あり。過(とが)を犯すの者も、道理を知り、正直に過を述べて、恐れ、慎むは免さる。是非をしらず僻(ひが)み、過を隠してかたましきは、いよいよ沈むことなり。心地観経((大乗本生心地観経))にいはく、「若覆罪者、罪郎増長、発露懺悔、罪即消滅(もし罪を覆ふ者は、罪すなはち増長し、懺悔(さんげ)を発露すれば、罪すなはち消滅す)」と言へり。 罪を隠すは、「木の根に土を覆へば、いよいよ木栄(さか)ふ。懺悔するは、根をあらはせば、木の枯るるがごとし」と言へり。しかれば、「罪業の木を枯らさん」と思はば、覆蔵(ふざう)の土を覆ふべからず。 百喩経((百句譬喩経))にいはく、「昔、愚かなる男あり。人の聟になりて行きぬ。さまざまにもてなせども、よしばみて、いと物も食はず。飢ゑて覚えけるままに、妻があからさまに立ち出でたるひまに、米を一頬(ほう)、うちくぐみて食はんとするところに、妻、帰り来たる。恥かしさに、面うち赤めて居たり。『頬(ほう)の腫れて見え給ふはいかに』と問へども、ものも言はず。いよいよ面赤みければ、『腫れ物の大事にて、物も言はぬにや』と思ひて、父母に告げければ、来たりて、『あれはいかに、いかに』と問ふに、いよいよ恥しさに、顔赤みけり。隣の者、みな集りて、『聟殿の腫れ物の大事におはする。あさましきことかな』と、とぶらひけり。『いかさまにも、大事のものにこそ』とて、医師(くすし)を呼びて見すれば、『ゆゆしき大事のものなり。急ぎ療治すべし』とて、大なる火針(くわしん)にて、頬を焼き破る。米、ほろほろとこぼれて、恥がましきことかぎりなし」。 これは、罪を発露(ほつろ)・懺悔せずして、隠し置きて、炎魔の庁庭にして、倶生神の簿(ふだ)の文、浄婆利鏡の影隠しなくして、十王・冥官の前に引き据ゑられ、阿防羅刹に縛られて、恥がましきのみにあらず、地獄に落ちて、大苦を受くるに喩(たと)ふ((「喩ふ」は底本「カトフ」。誤植とみて訂正))。よくよく因果の道理を知りて、事理の懺悔を行ずべし。 同じき御代官の時、鎮西に父の跡を兄弟相論することありけり。父、貧しくして((「貧しくして」は底本「奠クシテ」。諸本により訂正。))、所領を売りけるを、嫡子、かしこき者にて、貧しからぬままに、これを買ひてかへりて父に知らせけり。 かかりけるほどに、いかなる子細かありけん、弟に跡をさながら譲りて、兄、関東にて訴詔す。弟、召されて対決す。「兄、嫡子なり。奉公あり。申すところ道理あれども、弟、譲文(ゆづりぶみ)を手に握りて申す上は、ともにその言ひあり。成敗しがたし」とて、明法(みやうぼふ)の家へ尋ねらる。 法家に勘(かんが)へ申していはく、「『嫡子なり。奉公あり』といへども、父、すでに弟に譲りぬ。子細あるにこそ。奉公は他人にとりてのことなり。子として奉公は、至孝の勤めなり。弟が申すところ、道理なり」。よつて、弟、安堵(あんど)の下文(くだしぶみ)給はりて下りぬ。 泰時、この兄を不便(ふびん)に思はれければ、「自然(じねん)に欠所はしもあらば、申しあつべし」とて、わが内に置きて、衣食の二事、思ひあてられけり。 名人なる女を語らひて、あひ住みけるが、彼女も貧しき者なりけることを、雑談のついでに人々申し出でて、「あの殿の女房は、頂(いただき)に毛一つも無きとこそ承れ」と言ふ。泰時、「いかに」と問はる。「二人ながら貧しく候ふほどに、下人は一人も候はず。われと水を汲み、いただき候ふほどに、頭には毛一つも無きとこそ承れ」とて、人々笑ひければ、「あはれなることにこそ」とて、うち涙ぐみて、ことにふれて情けありてぞ、はぐくまれける。 さるほどに、本国に欠所ありける。父か跡よりも大なる所を、秋の毛の上を給ひて、下るべきにてありければ、用途・馬・鞍なんど沙汰し賜びて、「いかに。女は具して下らるべきか」と問はる。「この二・三年、わびしき目見せて候ひつるに、具して下り候ひて、早く飯食はせてこそ、心は慰み候はんずれ」と申しければ、「いみじく思はれたり。情けの色、かへすがへすあはれなり」とて、「女房の出で立ちもせよ」とて、こまごまと馬・鞍・用途まで沙汰し賜びけり。 あるがたき賢人にて、万人の父母たりし人なり。「道理ほどにおもしろきものなし」とて、人の道理を申すことあれば、涙を流し感じ申されけるとかや。 書((後漢書))にいはく、「貧賤の知人、忘るべからず。糟糠の妻、堂より下すべからず」と言へり。「貧しき時の知人を忘れ、妻をいやしく下さざれ」と言へり。この訴詔、人の心、古人の教へにかなへり。人の心は、恩を忘れ、情けなうのみこそ侍るに、かへすがへすあはれなりける心なるべし。 論語にいはく、「貧而無諂。富而無驕。(貧しくして諂(へつら)ふことなかれ。富みて驕ることなかれ。)」。人の貧は常のことなり。ただ心清くして、つたなきわざをし、諂ふべからず。また、富めらん人は驕るべからず。にはかに衰(おとろ)ふることもあり。災難も来たり、病死の患ひもあり。富むにつけては、いよいよ慎しむべし。非例を行ひ、無道の振舞ひすべからず。「やうやくに満てば、すなほに満つことを思ひ、やうやくにたたへば、器に余らんことを思へ」と言へり。人、これを慎しまずして、威勢にまかせて人を損じ、民を悩ます。かかる人は、一期も保ちがたく、子孫もかならす亡ぶ。今生もやすからず、来世も苦しみあるべし。慎しむべし、慎しむべし。 泰時の常に申されけるは、「有貧而不諂、無富而不驕(貧しくして諂はざるはあれども、富みて驕らざるはなし)」とて、わが身は万人に仰がれながら、人を敬ひ、世を恐れ慎しみて、二十年の間、世を保ち、天下おだやかなりき。民のわづらひを思ひて、つひに造作(ざうさく)なかりけり。 ある時の物語に、「御所へ参じたれば、『人の家の鰭板(はたいた)は、内の見苦しきこと隠さんためなるに、泰時が家の鰭板は、内まで見え通れり』とこそ仰せありつれ」と、人々、その中にて申されければ、「ついでをもつて奉公せん」と思へる人々、御所の仰せのごとく、「誰々もかくこそ存じ候へ。おほかたは、御用心のためにも、築地(ついぢ)に築(つ)かれ、堀(ほり)掘られて候はんは、めでたく候ひなん。おのおの一本づつ築き候はんに、十日には過ぎ候はじ。やすきことに候ふ。やがて、このついでに、ひしひしと御沙汰候ふべし」と口々に申しければ、うちうなづきて、「おのおのの御志の色は、かへすがへすありがたく思え候ふ。まことに御志あれば、御身にはやすくこそ思ひ給へども、国々より人夫ども上りて築かんこと、はかりなきわづらひ、大事にて候ふべし。用心のためと仰せ候へども、泰時、運尽き候ひなば、鉄の築地を築きて候ふとも助かり候はじ。運ありて召し使はるべくは、かくて候ふとも、何事か候ふべき。堀なんど掘りて候はば、そら騒ぎの時、馬・人落ち入りて、なかなかはかりなきわづらひ出で来ぬと思え候ふ。鰭板の隙(すき)なんどは、かきも直し候ひなん」と申されければ、人々、言葉なし。心ある人は感涙を流しけり。はるかに承るも、不覚の涙、禁じがたし。まして、その座の人、さこそ感じ思ひ侍りけめ。 かかりし人にて、子孫いよいよ繁昌せり。情けは人のためならず。道理まことに思ひ忘れ侍り。 故鎌倉の大臣殿((源頼朝))、御上洛あるべきに定まりながら、世間の人々、内々歎き申す。子細聞こし召さるるかにて、「京上あるべしや否や」の評定ありけるに、上の御気色を恐れて、ことにあらはれて子細申す人なかりけるに、故筑後の入道知家((八田知家))、遅参す。古き人にて、一見申すべきよし、御気色ありければ、「『天竺に、獅子と申し候ふなるは、獣(けだもの)の王にて候ふなるゆゑに、獣を悩まさんと思ふ心なしといへども、かの吠ゆる音を聞く獣、ことごとく肝心を失ひ、あるいは命も絶え候ふ』と申し候へば、君は人を悩まさんと思し召す御心なしといへども、民の歎き、いかでか候はざらん」と申しければ、「御京上り止まりぬ」と仰せ下されてけり。万人、掌(たなごころ)を合はせて悦びけり。 「聖人は心なし。万人の心をもつて心とす」と言ひて、人の心をかねて、民のわづらひを思ひ給ひけん。まことに賢にこそ。「賢王には賢臣の生れあふことにて、君も臣も((「臣も」は底本「臣セ」。諸本により訂正。))仁恵を心として、国治まり民安し」と申すは、この謂ひか。 魏の文王、「われは賢王なり」と思ひて、臣下の中にて、「朕は賢王なりや」と問ひ給ふに、任左といふ大臣、「君は賢王にてはおはせず」と申す。「いかに」と問ひ給へば、「天の与ふる位を受くるこそ、賢王とは申せ。威をもつて位につき給へり。賢王の儀にはあらず」と言ふ。これは、伯父の位を奪ひ、かの后を取りて、わが后とし給へることを思ひて申しけるにこそ。さて、怒りて座を追ひ立てらる。 次に、翟黄といふ大臣に、「朕は賢王なりや」と問ひ給ふ。「賢王とこそ申さめ」と申す。「何のゆゑに」と問ひ給ふに、「賢王には必ず賢臣の生まれあふことにて候ふに、任左ほどの者の生まれあひ参らせたれば、賢王にこそ。任左はいみじく申し候ふ」と申しける。この詞(ことば)に恥ぢて、任左を召し返して、政(まつりごと)正しくして、賢王の名を得たり。書にいはく、「木従縄材也。君従諫賢也。(木の縄に従ふは材なり。君の諫に従ふは賢なり)」と言へり。 仏法の中にも二人の健人あり。専精不犯(せんしやうふぼん)と犯已能悔(ぼんいのうけ)とて、性罪なき((「性罪なき」は底本「性ナリ罪ナキ」。諸本により訂正))、これ人の本なり。すべて病なき人のごとし。過(とが)あれどもあらため、罪を犯せどもよく懺悔して、後に、また犯さざる、また健人なり。健といふは病なき姿なり。昔も今も、漢家・本朝、時にとりて、忠言を申し伝へて侍るは、はるかに聞くところに感あるゆゑに、「左史は事を記し、右史は言を記す」と言へり。させる忠言ならねども、思ひ出づるにしたがひて、書き付け侍り。 故吉水の慈鎮和尚の御房に、房官ありけり。また御室の御所((仁和寺))に房官ありけり。ともに名人なりけるが、二人ながら猿に少しもたがはず。世の人、猿房官とて、人々に愛し笑はれける。ともにさかさかしき者にて、召し仕はれけり。 ある時、御室より、件の房官、吉水の御所へ御使に参る。「件の猿房官参ぜり」とて、御所中ささめきけり。「これの猿房官、出だし合ひて、あひしらはせよ」とて、御所にも御覧じけり。御所中の上下、かしこ、ここにたたずみて見るほどに、吉水の房官、歩み向ひて、うち笑みて、「いかが思ゆる」と問ふに、「鏡を見る心地こそすれ」と答えければ、人々、興に入りて、愛し感じけり。時にとりて、ゆゆしく聞えけり。 古人のいはく、「銅をもて鏡としては衣冠を正し、人をもて鏡としては得失を知り、古をもて鏡としては興廃を知り、心をもて鏡としては万法を照らす」と言へり。世間の人の、わが失を忘れて、人の失をのみ見て、人を鏡として、わか身を照らすことなきこそ愚かなれ。人をそしりては((「そしりては」は底本「ソシテハ」。諸本により訂正。))、わが身の失をかへりみる。これ、人を鏡とする心なり。人の愚かにつたなきを見ては、われをもまた、人のかくのごとく見んことを思へ。これ人すなはちわが鏡なり。猿房官がごとし。また、人の得を見て、わが及ばぬ失を照らすべし。また、古のいみしきことを聞きては、今の廃れたることをわきまふる。これ古を鏡とする((「する」は底本「フル」。諸本により訂正。))心なるべし。 上宮太子((聖徳太子))の十七憲法にいはく、「面の忿(いか)りを断ち、心の嗔(いか)りをやめて、人のたがはんを嗔ることなかれ。人みな心ありて、おのおの心に執することあり。わが是(ぜ)は人の非(ひ)、人の是はわが非、われも必ず聖にあらず、かれも必ずしも凡にあらず。ともにこれ凡夫なり。是非の理、誰(たれ)かこれを定めん」とのたまへり。まことに、凡心各執すること、妄情の上の是非なれば、是非ともに非なるべし。 人の非をもて鏡として、わが是を照らさば、わが是も是にあらじ。人の非も非にあらじ。このゆゑに、古人のいはく、「夢の中の有無は、有無ともに同じく無なり。迷の前の是非は、是非ともに非なり。しかれば、得失是非、一時に放下して、物我一如、自他平等の大道を達すべきをや。 荷澤は第六の祖慧能の嫡弟、すなはち第七祖師なり。如来知見と言ふは法華の四仏知見なり。無住の心は、浄名の無住の本なり。禅教の所詮、不定方便少しき異なり 他郷と言ふは三界なり。本国は浄土なり。安楽集にこれあり。敵国に人の子取られて、悪しく使はるるが、本国へ帰らんと思ふごとく、娑婆を他国と思ひ、極楽を本国父母の国と思ひて、浄土の行業すべしと言へり。((「荷澤は第六の祖慧能の嫡弟」以下ここまで、注の混入か。)) 述懐云   あながちに目みせぬ人をへつらはじ目みせん人をもまた否(いな)と思はで   法にすぎ情け深くて目をみせん人にむつばんそのほかはいや   へつらひて楽しきよりもへつらはで貧しき身こそ心やすけれ 勝軍論師((底本「勝車論師」。諸本により訂正。))の心を学して詠めり。 ===== 翻刻 =====   美言有感事/k3-90r 下総国ノ或地頭領家ノ代官ト相論ノ事アリテ鎌倉ニテ対 決ス泰時ノ御代官ノ時ナリ重々ノ訴陳ノ後領家ノ方ニ肝 心ノ道理ヲ申立タル時地頭手ヲハタト打テ泰時ノ方ヘ向テ アラマケヤトイフ時座席ノ人トモハトワラヒケル時泰時ウチウナ ツキテイミシクマケ給ヌルモノカナ泰時御代官トシテ年久ク成敗 仕ニイマタカクノコトクノ事承ハラスアハレマケヌルトキコユル人 モカナハヌモノユヘヒトコトハモ陳シ申ス習ナルニ我トマケ給ヘル 事メツラシク侍リ前ノ重々ノ訴陳ハ一往サモトキコユ今領家 ノ御代官ノ被申トコロ肝心ト聞ルニシタカヒテ陳状ナクマケ 給ヘル事返々イミシク聞ヘ侍リ正直ノ人ニテ御坐ケリトテウ チナミタクミテ感シ申サレケレハワラヒツル人々ミナニカリテソ見 ヘケルサテ領家ノ代官モ日来ハ事ノ子細キキホトキ給ハサリ/k3-90l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=89&r=0&xywh=-2188%2C204%2C6490%2C3835 ケリコトサラノ僻事ナカリケルニコソトテマケヤウヲ感シテ六年ノ 未進ノ物三年ハユルシテケリワリナキナサケナリ是コソマケタレハ コソカチタレノ風情ニテ侍レサレハ人ハ道理ヲワキマヘ正直ナル ヘキ者也世間出世共ニ正直ナルハ徳アリ過ヲ犯ノモノモ道 理ヲ知リ正直ニトカヲノヘテオソレツツシムハユルサル是非ヲシ ラスヒカミトカヲカクシテカタマシキハイヨイヨシツム事ナリ心地観 経ニ云若覆罪者罪郎増長発露懺悔罪即消滅ストイヘリ 罪ヲカクスハ木ノ根ニ土ヲオホヘハイヨイヨ木サカフ懺悔スルハ 根ヲアラハセハ木ノカルルカコトシトイヘリシカレハ罪業ノ木ヲカ ラサント思ハ覆蔵ノ土ヲオホフヘカラス百喩経ニ云昔ヲロカナ ル男有リ人ノ聟ニナリテユキヌサマサマニモテナセトモヨシハミテイ ト物モクハス飢テ覚ケルママニ妻カアカラサマニ立出タルヒマニ/k3-91r 米ヲ一ホウ打ククミテクハントスルトコロニ妻カヘリキタルハツカ シサニ面ウチアカメテヰタリホウノハレテ見ヘ給フハイカニト問ヘ トモ物モイハスイヨイヨ面アカミケレハハレ物ノ大事ニテ物モイハ ヌニヤト思テ父母ニツケケレハ来テアレハイカニイカニト問ニイヨイヨ ハツカシサニカホアカミケリ隣ノ者ミナアツマリテ聟殿ノハレ物ノ 大事ニオハスルアサマシキ事カナト訪ヒケリイカサマニモ大事ノ 物ニコソトテ医師ヲヨヒテ見スレハユユシキ大事ノ物ナリ急キ 療治スヘシトテ大ナル火針ニテホウヲヤキヤフル米ホロホロトコホ レテハチカマシキ事カキリナシコレハ罪ヲ発露懺悔セスシテカクシ ヲキテ炎魔ノ庁庭ニシテ倶生神ノ簿ノ文浄婆利鏡ノ影カク シナクシテ十王冥官ノ前ニヒキスヘラレ阿防羅刹ニシハラレテハ チカマシキノミニアラス地獄ニオチテ大苦ヲウクルニカトフ能々/k3-91l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=90&r=0&xywh=-2123%2C384%2C5841%2C3451 因果ノ道理ヲ知テ事理ノ懺悔ヲ行スヘシ同御代官ノ時鎮 西ニ父ノ跡ヲ兄弟相論スル事有リケリ父奠クシテ所領ヲウ リケルヲ嫡子カシコキモノニテマツシカラヌママニコレヲ買テ還テ父 ニシラセケリカカリケルホトニイカナル子細カアリケン弟ニ迹ヲサ ナカラ譲リテ兄関東ニテ訴詔ス弟召レテ対決ス兄嫡子ナリ奉 公有リ申所道理アレトモ弟譲文ヲ手ニニキリテ申上ハ共ニ 其イヒアリ成敗シカタシトテ明法ノ家ヘタツネラル法家ニ勘ヘ 申テイハク嫡子也奉公有トイヘトモ父ステニ弟ニ譲ヌ子細 有ニコソ奉公ハ他人ニトリテノ事也子トシテ奉公ハ至孝ノツト メ也弟カ申所道理ナリ仍弟安堵ノ下文給テ下リヌ泰時コ ノ兄ヲ不便ニ思ハレケレハ自然ニ闕所ハシモアラハ申アツヘシ トテ我内ニヲキテ衣食ノ二事思アテラレケリ名人ナル女ヲカ/k3-92r タラヒテアヒスミケルカ彼女モマツシキ者ナリケル事ヲ雑談ノ次 ニ人々申出テアノ殿ノ女房ハイタタキニ毛一モナキトコソ承レ ト云泰時イカニト問ハル二人ナカラマツシク候ホトニ下人ハ 一人モ候ハスワレト水ヲクミイタタキ候ホトニ頭ニハ毛一モナキ トコソ承ハレトテ人々ワラヒケレハアハレナル事ニコソトテウチナミ タクミテ事ニフレテナサケアリテソハククマレケルサル程ニ本国ニ闕 所有ケル父カ迹ヨリモ大ナル所ヲ秋ノ毛ノ上ヲ給テ下ルヘキ ニテ有リケレハ用途馬鞍ナント沙汰シタヒテイカニ女ハクシテ 下ラルヘキカト問ハルコノ二三年ワヒシキ目ミセテ候ツルニ具テ 下候テ早飯クハセテコソ心ハ慰候ハンスレト申ケレハイミシク 思ハレタリナサケノ色返々哀也トテ女房ノ出立モセヨトテコ マコマト馬鞍用途マテ沙汰シタヒケリ有難キ賢人ニテ万人ノ/k3-92l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=91&r=0&xywh=-2145%2C426%2C5841%2C3451 父母タリシ人也道理程ニ面白キ物ナシトテ人ノ道理ヲ申事 有レハ涙ヲナカシ感シ申サレケルトカヤ書ニ云貧賤ノ知人不 可忘ル糟糠ノ妻不可下堂ヨリトイヘリ貧キ時ノ知人ヲ忘レ 妻ヲイヤシク下ササレトイヘリ此訴詔人ノ心古人ノヲシヘニカ ナヘリ人ノ心ハ恩ヲワスレナサケナウノミコソ侍ニ返々哀也ケル 心ナルヘシ論語ニ云貧而無謟冨而無驕人ノ貧ハ常ノ事也 タタ心キヨクシテツタナキワサヲシ謟ヘカラス又冨ラン人ハオコルヘ カラスニハカニオトロウル事モ有リ災難モ来リ病死ノ患モ有リ冨 ムニ付テハイヨイヨツツシムヘシ非例ヲオコナヒ無道ノ振舞スヘカ ラスヤウヤクニ満ハスナヲニ満コトヲ思ヒヤウヤクニタタヘハ器ニア マラン事ヲ思ヘトイヘリ人是ヲツツシマスシテ威勢ニマカセテ人ヲ 損シ民ヲナヤマスカカル人ハ一期モ保難ク子孫モカナラスホロ/k3-93r フ今生モヤスカラス来世モ苦ミ有ヘシツツシムヘシツツシムヘシ泰時ノ 常ニ申サレケルハ有貧而不謟無冨而不驕トテ我身ハ万 人ニアヲカレナカラ人ヲウヤマヒ世ヲオソレツツシミテ二十年之 間世ヲタモチ天下オタヤカナリキ民ノワツラヒヲ思テツヰニ造作 ナカリケリ或時ノ物語ニ御所ヘ参シタレハ人ノ家ノハタ板ハ内 ノ見苦キ事カクサンタメナルニ泰時カ家ノハタ板ハ内マテ見ヘト オレリトコソ仰有ツレト人々ソノ中ニテ申サレケレハ次テヲ以奉 公セント思ヘル人々御所ノ仰ノ如ク誰々モカクコソ存候ヘ大 方ハ御用心ノ為ニモ築地ニツカレホリホラレテ候ハンハ目出候 ナン各一本ツツツキ候ハンニ十日ニハスキ候ハシヤスキ事ニ候 ヤカテ此次ニヒシヒシト御沙汰候ヘシト口々ニ申ケレハウチウナ ツキテ各ノ御志ノ色ハ返々有難ク覚候誠ニ御志アレハ御身/k3-93l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=92&r=0&xywh=-2332%2C384%2C5841%2C3451 ニハヤスクコソ思ヒ給ヘトモ国々ヨリ人夫共ノホリテツカン事ハ カリナキワツラヒ大事ニテ候ヘシ用心ノタメト仰候ヘトモ泰時 運ツキ候ナハ鉄ノツヰチヲツキテ候共タスカリ候ハシ運有テ召 使ハルヘクハカクテ候トモ何事カ候ヘキホリナントホリテ候ハハソ ラサハキノ時馬人オチ入テ中々ハカリナキワツラヒ出来ヌト覚 候ハタ板ノスキナントハカキモナヲシ候ナント申サレケレハ人々コ トハナシ心アル人ハ感涙ヲナカシケリハルカニ承ルモ不覚ノ涙禁 シカタシマシテソノ座ノ人サコソ感シ思侍ケメカカリシ人ニテ子孫 イヨイヨ繁昌セリ情ハ人ノタメナラス道理誠ニ思忘レ侍リ故 鎌倉ノ大臣殿御上洛アルヘキニ定リナカラ世間ノ人々内々 ナケキ申子細被聞食歟ニテ京上アルヘシヤイナヤノ評定有ケ ルニ上ノ御気色ヲ恐レテコトニアラハレテ子細申人ナカリケルニ/k3-94r 故筑後ノ入道知家遅参ス古キ人ニテ一見可申由御気色 有ケレハ天竺ニ師子ト申候ナルハケタ物ノ王ニテ候ナル故ニ 獣ヲナヤマサント思心ナシトイヘトモカノホユル音ヲキク獣コトコ トク肝心ヲウシナヒ或ハ命モタヱ候ト申候ヘハ君ハ人ヲ悩サン ト思食御心ナシト云ヘ共民ノナケキイカテカ候ハサラント申 ケレハ御京上トマリヌト仰下レテケリ万人掌ヲ合テ悦ケリ聖 人ハ心ナシ万人ノ心ヲ以心トストイヒテ人ノ心ヲカネテ民ノワ ツラヒヲ思給ケンマコトニ賢ニコソ賢王ニハ賢臣ノ生レアフ事 ニテ君モ臣セ仁慧ヲ心トシテ国オサマリ民安シト申ハコノ謂歟 魏ノ文王我ハ賢王也ト思テ臣下ノ中ニテ朕ハ賢王也ヤト 問給ニ任左トイフ大臣君ハ賢王ニテハ御ワセスト申イカニト 問給ヘハ天ノアタフル位ヲウクルコソ賢王トハ申セ威ヲ以位ニ/k3-94l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=93&r=0&xywh=-2251%2C389%2C5841%2C3451 ツキ給ヘリ賢王ノ儀ニハアラストイフコレハ伯父ノ位ヲウハヒ彼 ノ后ヲトリテ我后トシ給ヘル事ヲ思テ申ケルニコソサテイカリテ 座ヲヲヒタテラル次ニ翟黄トイフ大臣ニ朕ハ賢王也ヤト問給 フ賢王トコソ申サメト申ナニノ故ニト問給フニ賢王ニハカナラ ス賢臣ノムマレアフコトニテ候ニ任左程ノ者ノムマレアヒマイラ セタレハ賢王ニコソ任左ハイミシク申候ト申ケルコノ詞ニハチ テ任左ヲ召返シテ政タタシクシテ賢王ノ名ヲヱタリ書ニ云木ノ 従縄材也君ノ従諫賢也トイヘリ仏法ノ中ニモ二人ノ健人 有専精不犯ト犯已能悔トテ性ナリ罪ナキコレ人ノ本也都 テ病ナキ人ノコトシ過アレトモアラタメ罪ヲヲカセトモヨク懺悔 シテ後ニ又ヲカササル又健人也健トイフハ病ナキスカタナリ昔モ 今モ漢家本朝時ニ取テ忠言ヲ申伝テ侍ハハルカニ聞トコロニ/k3-95r 感アル故ニ左史ハ事ヲ記シ右史ハ言ヲ記ストイヘリサセル忠 言ナラネトモ思出ニシタカヒテ書付侍リ故吉水ノ慈鎮和尚 ノ御房ニ房官有ケリ又御室ノ御所ニ房官有ケリ倶ニ名人 也ケルカ二人ナカラ猿ニスコシモタカハス世人猿房官トテ人 人ニ愛シワラハレケル共ニサカサカシキ者ニテ召ツカハレケリ或時 御室ヨリ件ノ房官吉水ノ御所ヘ御使ニ参ル件ノ猿房官 参セリトテ御所中ササメキケリコレノ猿房官イタシ合テアヒシ ラハセヨトテ御所ニモ御覧シケリ御所中ノ上下カシコ爰ニタタ スミテ見ルホトニ吉水ノ房官アユミムカヒテウチエミテイカカヲホ ユルト問ニ鏡ヲ見ル心地コソスレト答ヘケレハ人々興ニ入テ 愛シ感シケリ時ニトリテユユシク聞ヘケリ古人ノイハク銅ヲモテ 鏡トシテハ衣冠ヲタタシ人ヲモテ鏡トシテハ得失ヲシリ古ヲモテ鏡ト/k3-95l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=94&r=0&xywh=-2561%2C303%2C6490%2C3835 シテハ興廃ヲシリ心ヲモテ鏡トシテハ万法ヲ照ストイヘリ世間ノ人 ノ我カ失ヲワスレテ人ノ失ヲノミ見テ人ヲ鏡トシテ我カ身ヲ照 事ナキコソヲロカナレ人ヲソシテハ我カ身ノ失ヲカヘリ見ルコレ 人ヲ鏡トスル心也人ノヲロカニツタナキヲ見テハ我レヲモ又人 ノカクノコトク見ン事ヲ思ヘ是人スナハチ我鏡也猿房官カコト シ又人ノ得ヲ見テ我カヲヨハヌ失ヲ照スヘシ又古ノイミシキ事 ヲ聞テハ今ノスタレタル事ヲワキマフル是古ヲ鏡トフル心ナルヘ シ上宮太子ノ十七憲法ニイハク面ノ忿ヲタチ心ノ嗔ヲヤメテ 人ノタカハンヲ嗔コトナカレ人ミナ心有テ各心ニ執スル事ア リ我是ハ人非人ノ是ハ我非我モカナラス聖ニアラス彼モカ ナラスシモ凡ニアラス共ニコレ凡夫也是非ノ理タレカ是ヲサタ メントノ給ヘリ誠ニ凡心各執スル事妄情ノ上ノ是非ナレハ是/k3-96r 非共ニ非ナルヘシ人ノ非ヲモテ鏡トシテ我是ヲテラサハ我カ是 モ是ニアラシ人ノ非モ非ニアラシ此故ニ古人ノイハク夢ノ中ノ 有無ハ有無共ニオナシク無也迷ノ前ノ是非ハ是非倶ニ非 ナリシカレハ得失是非一時ニ放下シテ物我一如自他平等ノ 大道ヲ達スヘキヲヤ 荷澤ハ第六ノ祖慧能嫡弟即第七祖師也如来知見ト云 法華ノ四仏知見也無住ノ心ハ浄名ノ無住ノ本ナリ禅教 ノ所詮不定方便少キ異也  他郷ト云ハ三界ナリ本国ハ 浄土也安楽集ニ有之敵国ニ人ノ子取レテ悪使ルルカ本 国ヘ帰ラント思如ク娑婆ヲ他国ト思極楽ヲ本国父母ノ国 ト思テ浄土ノ行業スヘシト云リ/k3-96l https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=95&r=0&xywh=-2124%2C354%2C5841%2C3451   述懐云  アナカチニ目ミセヌ人ヲヘツラハシ  目ミセン人ヲモマタイナト思ハテ  法ニスキナサケフカクテ目ヲミセン  人ニムツハンソノホカハイヤ  ヘツラヒテタノシキヨリモヘツラハテ  マツシキ身コソ心ヤスケレ   勝車論師ノ心ヲ学シテヨメリ 沙石集巻三上終/k3-97r https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=96&r=0&xywh=-913%2C-1%2C7010%2C4142