[[index.html|醒睡笑]] 巻8 頓作
====== 5 今の武蔵の江戸扶桑国の最頂たる御城の始めは・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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今の武蔵の江戸、扶桑国の最頂(さいちやう)たる御城((江戸城))の始めは、太田美濃守、法体(ほつたい)して太田の道灌((太田道灌。底本表記「大田の道寛」))といひき。名誉の武将、こしらへかまへけるを聞き及ばせ給ひ、公方((足利義政))より、「そちの城郭の景気を写して見せよ」と仰せつかはされければ、
わが庵(いほ)は松原つづき海近く富士の高嶺を軒端(のきば)にて見る
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===== 翻刻 =====
一 今の武蔵の江戸扶桑国(ふさうこく)の最頂(さいちやう)たる御城の
始は大田美濃(ほたみのの)守ほつたいして大田の道寛(たうくわん)と
いひき名誉(めいよ)の武将こしらへ構けるを聞及
はせ給ひ公方よりそちの城郭の景気を写し
て見せよと仰つかはされけれは/n8-5r
わかいほは松はらつつき海ちかく
ふしのたかねをのきはにて見る/n8-5l