[[index.html|醒睡笑]] 巻7 廃忘 ====== 3 真言宗の老僧こざかしき弟子あまた持たれけるあり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[n_sesuisho7-045|<>]] 真言宗の老僧、こざかしき弟子あまた持たれけるあり。山寺の冬の夕べ、ことにものすさまじく、さびしかりつるに、豆腐ただ一丁ならでなし。「これを田楽にし、なぐさまんに、むざと食うては曲(きよく)なし。さあらば、一の字の付きたる祖師の名を、おのおの言うて食すべき」にきはめられたり。 嫡弟(ちやくてい)、九曜曼陀羅(くえうまんだら)の元祖一行阿闍梨は貴(たつと)し」と、一串取りたり。次の弟子、ちくと人の知りたる一山一寧(いちざんいちねい)といふあり」と、二串取りたり。「時衆の開山一遍といふあり」と、「一峯妙斎((一峰明一か。))といふあり」と、「大山一元(たいさんいちげん)」のやれ、ひたもの取り食ひ、もはや田楽一串残れり。師匠、つひに言句出でず。「これは無念なり」と思ひ、手をさし出だし、「餓鬼(がつき)め、弘法大師((空海))」と言うて取られたり。 弘法に一の字はないの。十号の中に見えず((底本この文小書き。「見えず」は底本「見えする」。諸本により訂正。))。 弘法のついでに((「ついでに」は底本「つめでに」。諸本により訂正。))位高き上臈の、高野山は女人結界(によにんけつかい)と聞くなれば、「生(しやう)をかへてならでは」と思ひ続け給ひて、小袖を施入(せにふ)ある時、   のぼるべき便りなければ高野山(たかのやま)かねて敷き置く法(のり)の狭筵(さむしろ) [[n_sesuisho7-045|<>]] ===== 翻刻 ===== 一 真言(しんごん)宗の老僧こざかしき弟子(でし)あまたも   たれけるあり山寺の冬の夕(ゆふべ)ことに物すさま   しくさびしかりつるに豆腐(とうふ)ただ一丁な   らてなし是を田楽にしなくさまんにむさと/n7-28r   くふては曲なしさあらば一の字のつきたる   祖師の名ををのをのいふて食すへきにきは   められたり嫡弟(ちやくてい)九曜曼陀羅(くようまんだら)の元祖(くはんそ)一行   阿闍梨はたつとしと一くしとりたり次の弟子   ちくと人の知たる一山一寧(ねい)といふありと   二くしとりたり時衆(ぢしう)の開山(かいさん)一遍(へん)といふ   ありと一峯妙斎(ほうみやうさい)といふありと大山(たいさん)一元(けん)   のやれひた物とりくいもはや田楽一串   残れり師匠終に言句出す是は無念也と/n7-28l   思ひ手を指出しかつきめ弘法(こうほう)大師といふて   とられたり 弘法に一の字はないの十号の中に見えする   弘法のつめでに位高(くらいたか)き上臈(しやうろう)の高野山は   女人けつかひと聞なれは生をかへてならてはとを   もひつつけ給ひて小袖を施入(せにう)ある時    のほるへき便なければ高野山     かねてしきをく法の狭筵/n7-29r