[[index.html|醒睡笑]] 巻6 児の噂
====== 1 叡山西塔に児たち寄り合ひて・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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叡山西塔((比叡山延暦寺西塔))に、児(ちご)たち寄り合ひて、思ひ思ひの物語、時うつりしに、一人が言へるは、「この若道(にやくだう)といふことは、昔誰がたくみ出だしたるぞや」と、さもうらめしさうに問はれけるを、「この道は高野の大師弘法((空海))といふ人、これの御影堂に殊勝顔してゐらるる坊主の、唐まで歩(あり)き回り、かやうの難儀を仕出だされたる」と語る者あり。
「なかなか憎や」と思ひしが、ある朝、院主(ゐんす)も同宿も留守なりしに、小法師が児を呼びて、「このお仏餉(ぶつしやう)をお大師へ参らせ給へ」と教ゆる時、かの児持ちて行き、「かあ、これ食ふて、まつと何ぞたくめ」と。
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===== 翻刻 =====
醒睡笑巻之六
児の噂
一 叡山西塔に児達よりあひておもひおもひの
物かたり時うつりしにひとりかいへるはこの若(にやく)
道といふ事はむかしたれかたくみ出したるそや
とさもうらめしさうにとはれけるを此道
は高野の大師弘法といふ人これの御影堂に
殊勝かほしてゐらるる坊主の唐まてありきま
はりかやうの難義を仕出されたるとかたる者/n6-3l
あり中々にくやと思ひしかある朝院主も同宿
も留守なりしに小法師か児をよひて此お仏
餉をお大師へ参らせたまへとをしゆる時彼児も
ちてゆきかあこれくふてまつとなんそたくめと/n6-4r