[[index.html|醒睡笑]] 巻5 婲心 ====== 25 新続古今を撰ぜらるる時歌人の数に入りなんことを望み・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[n_sesuisho5-024|<>]] 『新続古今((『新続古今和歌集』))』を撰ぜらるる時、歌人の数に入りなんことを望み、三百首詠みて上げけれどもなし。また百首重ねて上げ参らする包紙に、   かきすつる藻屑(もくづ)なりともこのたびはかへらでとまれ和歌の浦波 この一首、とまりてあり((『新続古今』ではなく『続後拾遺和歌集』雑中にある。))。 かの蜷川の新右衛門親当((蜷川親当))、心ざしのほどこそ。   いとはるるものの憎しとは見ず   うぐひすの羽風に花のうち散りて [[n_sesuisho5-024|<>]] ===== 翻刻 ===== 一 新続古今を撰せらるる時哥人の数に   入なん事を望み三百首よみて上けれどもなし   また百首かさねて上参らする包紙に    かきすつるもくつなりともこのたひは     かへらてとまれ和哥の浦浪   此一首とまりてあり。彼蜷川(になかは)の新右衛門親当   心ざしのほとこそ     いとはるる物のにくしとは見ず    うくひすの羽風に花の打散て/n5-14l