[[index.html|醒睡笑]] 巻4 聞こえた批判
====== 15 河原院は融の左大臣の家なり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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河原院は融(とほる)の左大臣((源融))の家なり。陸奥(みちのく)の塩竈(しほがま)の形(かた)を作りて、潮を汲み寄せ、塩を焼かせなど、さまざまをかしきことを尽し住み給ひける。大臣(おとど)失せ給ひて後、宇多院((宇多天皇))には奉りたるなり。延喜の御門((醍醐天皇))、たびたび行幸ありけり。
院の住ませ給ふ夜半ばかりに、そよめきて、人の参るやうに思され、見させ給へば、日の装束うるはしくしたる人の、太刀はき笏取りて、二間ばかりのき、かしこまり居たり。
「あれは誰(た)そ」と問はせ給へば、「ここの主(ぬし)に候ふ翁なり」と申す。「融の大臣(おとど)か」と問はせ給へば、「しかに候ふ」と申す。「さは、何ぞ」と仰せらるれば、「家なれば住み候ふよ。おはしますがかたじけなく、所狭く候ふなり。いかがつかまつるべからん」と申せば、「それは大臣の子孫の、われに得させたれば住むにこそあれ。われ押し取りて住むにはあらず。礼も知らず、いかにかくは恨むるぞ」と高やかに仰せられければ、かい消つやうに失せぬ。
「ただの人は、その大臣の霊鬼にあひて、さやうにはいかで言ひてんや」とぞ、時の人、感じ奉りし。
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===== 翻刻 =====
一 河原院は融の左大臣の家也みちのくの
しほかまのかたをつくりて潮をくみよせ塩を/n4-17l
やかせなと様々おかしき事をつくし住給
けるおととうせ給ひて後宇多院には奉りた
る也延喜の御門たひたひ行幸有けり院
のすませ給夜半斗にそよめきて人の参
るやうにおほされ見させ給へはひの装束
うるはしくしたる人の太刀はき笏とりて
二間斗のき畏り居たりあれはたそと
とはせたまへはここのぬしに候翁なりと申
融のおととかと問はせたまへはしかに候と/n4-18r
申すさはなむそと仰らるれは家なれは住
候よおはしますか辱く所せく候なり如何仕
へからんと申せばそれはおととの子孫の我
に得させたれは住にこそあれ我をしとり
てすむにはあらす礼もしらすいかにかくは
うらむるぞとたかやかに仰られけれはかい
けつやうに失ぬ唯の人はそのおととの霊鬼に逢て
さやうにはいかていひてんやとそ時の人感し奉りし/n4-18l