[[index.html|醒睡笑]] 巻4 聞こえた批判 ====== 13 板倉伊賀守殿齢七旬にあまれば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== [[n_sesuisho4-012|<>]] 板倉伊賀守殿((板倉勝重))、齢(よはひ)七旬にあまれば、功名(こうめい)かなひとげて、身を退き、嫡子周防守殿((板倉重宗))ついで、天下の所司代たりし。 上京に、ある家主あひ果てけるに、二十(はたち)あまりの子あり。母は継母(けいぼ)、「その惣領(そうりやう)には家を渡すまじ。『われに跡をしれ』と夫の遺言なり」と言ふ。惣領は、「眼前の親子たるわれをのけ、別に誰が家をしるべきや」と怒り、所司代へ双方出でけり。 互ひの意趣を言ふ口上に、妻の申すやう、「後家と書きては何と読み参らする」と。周防守、「のちの家と読む」とあれば、「その儀ならば、われらのしらでかなはぬことにこそ」と申す時、「まづ立て帰れ。重ねて穿鑿(せんさく)すまさむ」となり。 宿に戻り、「公事(くじ)勝ちたり。さらば尼にならん」と、親類言ひ合せぬ。再び裁許(さいきよ)とて、また決断の座に出でたるに、「そちは髪を剃りたるか」と尋ねたる。「なかなか。ふたたび夫を持ち、憂き世の望みあらばこそと思ひさだめ、出家の姿にまかりなりて候ふ」と。その言下に周防守殿、「さらば出家とは家を出づると書きたるまま、この座敷より、すぐに家を出でよ」と。 [[n_sesuisho4-012|<>]] ===== 翻刻 ===== 一 板倉伊賀守殿齢(よはひ)七旬にあまれは功名(こうめい)かな   ひとけて身をしりそき嫡子周防(すほう)守殿   次て天下の所司代たりし上京にある家主/n4-16r   あひはてけるに廿あまりの子あり母は継母(けいぼ)   其惣領(そうりやう)には家を渡すまし我れに跡(あと)をしれ   と夫の遺言なりといふ惣領は眼前の親子   たる我れをのけ別に誰れか家をしるへきやと   いかり所司代へ双方出けり互(たがい)の意趣(いしゆ)をいふ   口上に妻(つま)の申様後家と書てはなにと   よみ参らすると周防守のちの家とよむ   とあれば其儀ならは我らのしらてかな   はぬ事にこそと申時まつ立て帰れ重(かさね)て/n4-16l   せんさくすまさむとなり宿(やと)に戻(もどり)公事(くじ)   かちたりさらは尼(あま)にならんと親類(しんるい)いひ合   せぬ再裁許とて又決断(けつたん)の座に出たるに   そちは髪(かみ)をそりたるかとたつねたるなか   なか二度夫をもちうき世の望(のそみ)あらばこそ   とおもひさだめ出家のすかたにまかりなり   て候と其言下に周防(すほう)守殿さらは出家とは   家を出ると書たるまま此座敷(さしき)よりすく   に家をいてよと/n4-17r