[[index.html|醒睡笑]] 巻4 聞こえた批判
====== 6 大仏の前にて若き侍の小者二人連れたるが茶屋に寄り・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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大仏((方広寺))の前にて、若き侍の小者二人連れたるが、茶屋に寄り、ひたもの餅を食ひ、時宜(じぎ)なしに立たんとする。亭主、「銭は」と言ふに、一銭のあてなし。「いづくの人ぞ」。「われは関東の者なり。頼みたる人の使に京へ上る。今朝ふと((「ふと」は底本「〓風」。〓は判別しがたい。諸本により訂正。))出でたり。やがて返弁(へんべん)に及びなん。このたびは掛けられよ」と。亭主、返答もせず、あざわらつて、「掛くるとは二文や五文のこと候ふよ。十疋((百文))は過分なり。銭なくは脇差(わきざし)を質に取らん」と。侍、「主の使に行く者の、まる腰は異なものなるべし。許されよ」とわびても聞かず。侍ほどの人、料足(れうそく)なくは食ふまじきにてこそあらんめ。とかくわやくなり。いざ板倉殿((板倉勝重))へ行け」と、町の年寄を連れて、所司代へ出づる。
茶屋、右の趣(おもむき)を申せば、「このこといかに」と尋ね問はるるに、侍も陳ずべきやうなし。伊賀守((板倉勝重))、双方を聞きて、「詮ずるところ、これは十疋の料足さへ取れば、茶屋も言ひ分あるまじきか」と問はる。「なかなか、別の子細候はじ」と申す時、「さらば鳥目(てうもく)取らせよ」と、十疋をつかはしてぞ返されける。
侍には、「御辺(ごへん)、関東の人と言ふ。京伏見は故郷(こきやう)にて知音などある所にかはり、片通(かたどほ)りなれば、『後に返弁せむ』など言ひ、物の代をすまさず過ぐることはなるまじきぞ。以来、その心得あれ」と、異見してぞもどされける。
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===== 翻刻 =====
一 大仏の前にてわかき侍の小者二人つれたる
か茶屋によりひた物餅をくひ時宜なしに
たたんとする亭主銭はといふに一銭のあて
なしいつくの人そ我は関(くはん)東の者なり頼たる
人の使(つかひ)に京へのほる今朝〓風出たりやかて
返弁に及なん此度はかけられよと亭主
返答もせすあざわらつてかくるとは二文や五
文の事候よ十疋は過分也銭なくは脇指(わきさし)を質
にとらんと侍主の使に行者のまる腰はいな物/n4-8r
なるへしゆるされよとわひてもきかす侍ほと
の人料足(れうそく)なくはくふましきにてこそあらんめ
とかくわやくなりいさ板倉殿へゆけと町の
年寄をつれて所司代へ出る茶屋右の
趣を申せは此事如何にと尋とはるるに侍も
ちんずへきやうなし伊賀守双方を聞て詮
する処是は十疋の料足さへとれば茶屋も
いひ分あるましきかととはる中々別の子細
候はしと申時さらは鳥目とらせよと十疋を/n4-8l
つかはしてぞかへされける侍には御辺(へん)関東(くはんとう)の
人といふ京伏見は故郷(こきやう)にて知音(ちいん)なとある所
にかはりかたとをりなれは後に返弁(へん)せむなといひ
物の代をすまさす過る事はなるましきそ以来
其心得あれと異見してぞもとされける/n4-9r