[[index.html|醒睡笑]] 巻1 鈍副子
====== 11 いはんかたなき鈍なる弟子あり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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いはんかたなき鈍(どん)なる弟子あり。檀那の集まりて茶うけなどある座敷に、年讃嘆(さんたん)のあるは常の習ひなり。しかるに、かの弟子、ややもすれば、いまた三十の者をば四十と見損じ、五十ばかりの者をば六十余りと見損なうて笑はるるを、坊主、聞きかね、「さて、うつけに薬がないとはまことや。われも人も、年の寄りたきはなし。誰をも若いと言はんこそ本意(ほい)ならめ。あなかしこ、粗忽(そこつ)に人を年寄りと言ふな」と教へられ、明けの日、かの弟子、使僧(しそう)に行き、女房の子を抱(いだ)きゐるを見付け、「この御子息はいくつにてありや」。「これは今年生まれ、片子(かたこ)でおいりある」と答へけり。弟子、「さて片子には若くござあるよ」と。
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===== 翻刻 =====
一 いはんかたなき鈍なる弟子ありだんな
のあつまりて茶うけなとある座敷に
年さんたむのあるは常のならひ也しかるに彼/n1-51r
弟子ややもすれはいまた三十の者をは四十
と見そんし五十斗の者をは六十あまりと
見そこなふてわらはるるを坊主聞かねさて
うつけに薬かないとはまことや我も人も年のよ
りたきはなし誰をもわかいといはんこそほいなら
めあなかしこそこつに人を年よりといふなと
をしへられあけの日彼弟子使僧(しそう)に行女房
の子をいたきゐるを見つけ此御子息はいく
つにてありや是はことしむまれかた子ておいり/n1-51l
あるとこたへけり弟子さてかたこにはわ
かく御座あるよと/n1-52r