[[index.html|醒睡笑]] 巻1 鈍副子
====== 6 三井寺に貧しき僧ありしが寺内の児に思ひを寄せ・・・ ======
===== 校訂本文 =====
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三井寺((園城寺))に貧しき僧ありしが、寺内(じない)の児(ちご)に思ひを寄せ、せんかたなくあこがるれども、言ひ寄らん縁(えにし)さへまれにて過ぎけるに、かの児の後見の法師聞付け、あはれみて、「まづせめて児の言葉になりとかけたきまま、いつの日の入相(いりあひ)のころ、つぼの内なる梅のもとに来たりゐよ。『今を春辺(はるべ)と花の顔ばせ御覧ぜよかし』など誘ひ出でんずる時、『あれなる花のもとのは何者ぞや』と児尋ね給はば、『梅法師でござある』と言へ」と教ゆる。
「せつなき心ざしや」と感じ、行きてゐければ、案のごとく伴ひ出でて、「あれなるは」と児の問はれければ、「梅づけでござある」と申したり。
人ならばうき名や立たむ小夜更けてわが手枕(たまくら)にかよふ梅が香((底本頭注「此哥此条に心相違せりとて申す」。))
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===== 翻刻 =====
一 三井寺にまつしき僧ありしか寺内の/n1-48l
児に思ひをよせせんかたなくあこかるれと
もいひよらんえにしさへまれにて過けるにか
のちこのこうけんの法師聞つけあはれみ
てまつせめて児の言葉(ことは)になりとかけたき
ままいつの日のいりあひのころつぼのうち
なる梅のもとにきたりゐよ今を春辺と
花のかほはせ御覧せよかしなとさそひ
出んする時あれなる花の本のはなにものそ
やと児尋たまはは梅法師て御さあると/n1-49r
いへとをしゆるせつなきこころさしやとかんし
行てゐけれはあんのことくともなひ出て
あれなるはと児のとはれけれは梅つけて
御座あると申たり
(此哥此条ニ心相違セリトテ申す)
人ならは憂名やたたむさよふけて
我手枕にかよふ梅かか/n1-49l