撰集抄 ====== 巻8第20話(95) ※標題無し ====== ===== 校訂本文 ===== 待賢門院((藤原璋子))、かくれさせ給ひてのまたの年の春、兼方((秦兼方))と云ふ随身の、かの御所へ参りたりけるに、人は歎きの色ありて、元亮の人も侍らねども、花は思ふことなく、去年にかはらず咲き乱れたるを見て、   去年(こぞ)見しに色もかはらず咲きにけり花こそものは思はざりけれ と詠みたりけるを、俊成((藤原俊成))の聞き給ひて、「上の句はめでたけれども、下の句、『花こそ』の句、少し心にもかなはず。非情風情の心地のし侍り」とそしり聞こえ給ひけり。 兼方、このことをほの聞きて、ことにとりつくろひて、俊成の宿所に詣でて、人をたづね出でて、「『いと便なきことに侍れども、申し入るべきことの侍りて参りたる』と申させ給へ」と言ふに、俊成、聞き給ひて、「この歌のこと言ふべきにこそ」など心得給ひて、「今、まぎるること侍り。なにわざにか侍らん」とのたまひければ、兼方、「かくと申させ給へ」とて、   花こそやどのあるじなりけれ とばかり言ひて、出でにけり。俊成、聞き給ひて、「落ち合はれぬ」とぞ、のたまはせ侍りける。 「『花こそ』といふ句をかたぶき給ふ」と聞きて、「俊成の父、俊忠((藤原俊忠))の歌の『花こそ』は いかに」ととがめけるなり。 ただし、中納言の難じ給へるは、「『去年見しに色もかはらで咲きにけり』といふまでは、いかなる風情の句も付きぬべげに侍るに、『花こそものは思はざりけれ』といふ、無下に弱き句なり」とそしり給へるにこそ。ただ、「花こそ」といふ、「こそ」をにくみ給ふにはあらじものを。しかる上は、なにしにか、俊忠の歌にはひとしむべき。 ===== 翻刻 ===== 給そと聞え侍る待賢門院かくれさせ給て のまたの年の春兼方と云ふ随身の彼御所へ まいりたりけるに人は歎の色ありて元亮の人 も侍らねとも花は思事なく去年にかはらす さきみたれたるを見て 去年見しに色もかはらす咲にけり/k248r 花こそ物はおもはさりけれ と読たりけるを俊成の聞給て上の句は目出 けれとも下の句花こその句すこし心にもかな はすひてふ風情の心地のし侍りとそしり聞え 給けり兼方此ことをほの聞て殊取つくろひ て俊成の宿所にまふてて人をたつね出てい と便なき事に侍れとも申入へき事の侍り てまいりたると申させ給へといふに俊成きき給 て此哥のこと云へきにこそなと心得給て今ま きるる事侍りなにわさにか侍らんとの給けれは/k248l 兼方かくと申させ給へとて 花こそやとのあるしなりけれ とはかり云て出にけり俊成きき給てをちあは れぬとその給はせ侍りける花こそといふ句をかた ふき給と聞て俊成の父俊忠の哥の花こそは いかにととかめけるなり但し中納言の難し給へる は去年見しに色もかはらてさきにけりといふま てはいかなる風情の句もつきぬへけに侍にはなこそ ものは思はさりけれといふむけによはき句也 とそしり給へるにこそたた花こそといふこそをにく/k249r み給にはあらし物をしかる上はなにしにか俊忠の哥 にはひとしむへき/k249l