撰集抄 ====== 巻6第12話(60) 三滝上人於庵室値道心者事 ====== ===== 校訂本文 ===== さいつころ、頭おろして侍りしころ、結縁もせまほしくて、三滝の聖人観空の庵にまかりたりしに、折節(をりふし)、聖人たがはれ侍りしかば、「待ち侍らん」と思ひて、東向きなる妻戸の内に、うち休みて侍るに、あてやかなる姿ざしを、わざとやつせると見え侍り。月代(つきしろ)なんどあざやかにて、近く家を出でらん人と思え侍り。われには目もかけで、庭の草花をながめて、うちうめけることざまの、優に思え侍るほどに、藤の衣の袖に露落ちかかりしを、またつくづくとまぼり侍りしことがらの、ただの者とは見えざりしかば、   露をだに今はかたみの藤衣 と申し侍りしかば、この人、とりあへず、   あだにも袖を吹く嵐かな と付けて侍りき。 あまりにおもしろく思え侍りしかば、「誰と申すにか。また理髪の昔の御ことも、聞かまほしく侍り」と語らひ侍りしかば、「われは近衛院((近衛天皇))に近く召しつかはれ奉りて、かたじけなく、清涼殿の月をも秋をかさねてながめ、古射山の紅葉をも年を経て見侍り。わづかに位三品にいたり侍りしほどに、はからざるに、近衛院、ほのぼのとありし齢にて、はかなくならせ給ひしかば、世の無常の思ひ知られて、つゆばかりの具足をも身にそへず、年ごろの舎利のおはしまし侍りけるばかりを取りて、まかり出でて侍り。されども、する勤めも侍らず」とのたまはせし、聞くに、そぞろに涙もせきあへず侍りき。 朝(あした)に生まれ、夕べに死するはかなき世とは、誰も思へるぞかし。しかるに、今日は友にまじはりて、日影のかたぶくをも知らず、明日は世を渡りて、無常の鐘の音にも聞きおどろかず、鳥部山の煙と昇るをも知らざんめるに、この三位の、にはかに無常の心にしられ侍りて、浮世を遁れていまそかりける、かへすがへすありがたく侍り。 見ずや、露をこそ、「はかなき物」とは言ふめるに、今朝のまの朝顔の花におくれぬることを、芭蕉の上にかける蜉蝣、風になびけるは、芭蕉やさい立ちて破れん((「破れん」は底本「ややふれん」。諸本により訂正。))とする、蜉蝣や先に消えんとする、ともにあだなる身なり。 人もまたしかなり。春の朝に花を詠ずる族(やから)、花や先、人や先、何れかさい立たんとせる。秋の夜、月をながむる人、月や先に雲に隠れん、われやまさに隠れなん。げに、雲間を照らす稲妻の、ほどなきほどの身をもちて、わが身の上を讃め、人の上を言ひて、羊((「羊」は底本「年」。諸本により訂正。))の歩みの近付きぬることをも知らざることの、いと無慙には侍らずや。 あはれ、深き御法(みのり)を知るまでのさきらは侍らずとも、無常を常に忘れぬほどの心を、仏の付け給はりて、わが身をさしはなちて、思ひをとどめて、後世のつととし侍らばや。高野の大師の御言葉((空海『三教指帰』上))に、「曲れる蓬、麻にまじはれば、ためざるに自然に直る」といへり。まことなるかなや。 しかあれば、げにげに、かからん人にそひて、常は世のはかなきことをも聞き侍るものならば、わが心をためんとにはあらず。自然に直(すぐ)にして、無常をも悟るべし。 ===== 翻刻 ===== さいつころ頭をろして侍し比結縁もせまほ/k190r しくて三瀧の聖人観空の庵にまかりたりしに おりふし聖人たかはれ侍しかはまち侍らんと思て 東向なる妻戸の内にうちやすみて侍にあてや かなる姿さしをわさとやつせると見え侍り月 しろなんとあさやかにて近く家をいてらん 人と覚侍り我には目もかけて庭の草花を なかめてうちうめける事さまの優に覚 侍る程に藤の衣の袖に露おちかかりしを 又つくつくとまほり侍し事からの只の物と は見えさりしかは/k190l 露をたにいまはかたみのふちころも と申侍しかはこの人とりあへす あたにも袖をふくあらしかな と付て侍りきあまりに面白く覚侍しかは 誰と申にか又理髪の昔の御事も聞 まほしく侍りとかたらひ侍しかは我は近 衛院にちかく召仕れ奉りて忝清冷殿 の月をも秋をかさねてなかめ古射山のも みちをも年をへてみ侍り僅に位三品に 至り侍し程にはからさるに近衛院ほのほの/k191r とありし齢にてはかなくならせ給しかは世の無常 の思ひしられて露はかりの具足をも身にそへす 年此の舎利のをはしまし侍けるはかりをとり て罷出て侍りされともする懃も侍らすと の給はせし聞にそそろに涙もせきあへす侍りき 朝に生れ夕に死するはかなき世とは誰も思るそ かし然に今日は友にましはりて日影のかたふくをもしらす 明日は世をわたりて無常のかねの音にも聞お とろかす鳥部山の煙とのほるをもしらさん めるに此三位の俄に無常の心に/k191l しられ侍て浮世をのかれていまそかりける 返々ありかたく侍り見すや露をこそはか なき物とはいふめるに今朝のまのあさかほ の花にをくれぬる事を芭蕉の上にかける 蜉蝣風になひけるは芭蕉やさゐ立てやや ふれんとする蜉蝣やさきにきえんとする 共にあたなる身なり人も又しかなり春の 朝に花を詠するやから花やさき人やさき 何れかさゐ立たんとせる秋の夜月をなか むる人月やさきに雲にかくれん我やまさに/k192r かくれなんけに雲間をてらす稲妻の程な きほとの身をもちて我身のうへをほめ人の 上をいひて年の歩のちかつきぬる事を もしらさる事のいと無慙には侍らすや哀 深みのりをしるまてのさきらは侍らす共 無常をつねに忘れぬ程の心を仏の つけ給はりて我身をさしはなちて思をとと めて後世のつととし侍らはや高野の 大師の御詞に曲蓬麻にましはれはため さるに自然に直るといへり実なるかなや/k192l しかあれはけにけにかからん人にそひて常 は世のはかなき事をも聞侍る物ならは 我心をためんとにはあらす自然にすくに して無常をもさとるへし/k193r