撰集抄 ====== 巻5第4話(37) 永縁僧正事 ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、山階寺の別当にて、永縁僧正といふ人なんおはしけり。智恵の、人に勝れたるのみにあらず、六義の風俗を極め侍り。ある時は、身を禅室にひそめて、心を法界に住ましめ、ある時は、花下月前に寄り居て、詞を和州にやはらぐ。 しづが垣根に卯の花の咲きそめ、山郭公(ほととぎす)の里なれしより、人の心情ばみて、心もそらになるを、ある時、あひ知れる友達の僧の来たりて、「いかに、この御歌は学問の妨げには侍らずや」と、問ひ奉り侍りければ、「なじかはしかあらん。いよいよ心ぞ澄み侍らめ。恋慕哀傷の風情をも詠みては、みなわが心に帰すれば、唯識の悟、ここに開かれぬ。もと心の外に法なし。ただ、心の偽れるなり。おのが心をさわがして、なにと、『学問の妨げ』とはのたまはするぞ。いとど無下に侍り」と言はれて、涙を落してのきにけりとなん。 ただ法文の道に取り入らぬ心すら、和歌の道にたづさはる輩(ともがら)は、心の優にて、歎きも恨みも、ともに忘るるに、まことの法に思ひ入りて、詠みとられけむ、うらやましくぞ思ゆる。あはれ、智恵は外にはなきものを。「いつ、むら雲の晴れやりて、実の見解(けんげ)の出で来て、澄める月を見むずらん」と、いとど心もとなくぞ思え侍る。 さても、「三十七尊住心城」と説かれたるを聞く時は、やがて、「胸のうちを開きて、これを拝まん」と思ふ心の付き侍りしを、「はかなき凡夫の眼、あに尊容を拝し奉らんや」と思えて、かへりて愚痴の心をあざけりて、今日もすでに暮れぬ。 ===== 翻刻 ===== 中比山階寺の別当にて永縁僧正と云ふ人 なんをはしけり智恵の人に勝れたるのみにあら す六義の風俗をきはめ侍り或時は身を禅 室にひそめて心を法界にすましめ或時は花 下月前に寄居て詞を和州にやはらくしつ かかきねに卯華の咲そめ山郭公の里なれし より人の心情はみて心もそらになるを或時相/k120l 智友達の僧の来ていかに此御哥は学問の 妨には侍らすやと問奉り侍りけれはなしかは しかあらん弥々心そすみ侍らめ恋慕哀傷の風情 をも詠ては皆我心に帰すれは唯識の悟ここに 開かれぬもと心の外に法なし唯心のいつは れる也をのか心をさはかしてなにと学問の妨とは の給はするそいとと無下に侍りといはれて涙 を落てのきにけりとなん唯法文の道に取 入ぬ心すら和哥の道にたつさはる輩は心の優 にて歎もうらみも共に忘るるに実の法に/k121r 思入て詠とられけむうら山しくそ覚る哀智 恵は外にはなき物をいつ村雲の晴やりて実 のけんけの出きて澄る月をみむすらんといとと 心許なくそ覚え侍る扨も三十七尊住心城とと かれたるを聞時はやかてむねのうちをひらき て是をおかまんと思ふ心のつき侍りしをはかな き凡夫の眼あに尊容を拝し奉んやと覚て 返て愚痴の心をあさけりて今日も已に暮ぬ/k121l