撰集抄 ====== 巻1第3話(3) 無縁僧帷返 ====== ===== 校訂本文 ===== 中ごろ、都のうちに、いづくの者とも知られで、さそふ僧侍り。頭(かしら)・面(おもて)よりはじめて、足・手、泥かたにて、気色あさましきが、肩またきものなんども着ず、筵(むし)・薦(こも)などうち着つつ、人の家に入りてものを乞ひ、世を渡り侍るになん。心ばへのいみじくよくて、また、心たしかに侍り。いささかの木((底本「本」。諸本により訂正。))の枝なども、主(ぬし)の許し侍らねば、取り用ゐるわざも侍らざりしかば、人、あはれみをたれて、命をささゆるほどのことは侍りけるとかや。 ある時、人の家に呼び入れて、「これ着よ」とて帷(かたびら)を得させ侍りければ、この僧のいふやう、「御志は、かへすがへすもありがたく侍り。かかるたよりなき者は、人の御憐みならでは、何とてか、何時も侍るべきなれば、便宜よく侍る時は、これをたまはる。ただし、われらは筵・薦を着慣れて、さやうの物を肩にかけ侍れば、これはいとあたらしく侍るべければ、返し奉り侍る。ただ、筵・薦などの捨て給ふべき時侍らん。それらをば得させ給ふべき」とて、返しければ、主(あるじ)、思はずに((底本「おもかす」。諸本により訂正。))思えて、押して取らせ侍れども、「思ふやう侍り」とて、つゆ手にもかけねば、力なくてやみにけり。 ものなども、およそ多くは食はず。人の得させなんどするにも、「今日は食べぬれば、よしなし」とて取らずぞ侍りける。「のちのため」とて貯ふるわざもなし。念仏申し、要文など誦して、思ひ入りたるさまなれども、法文のかたには、もて離れたるさまをぞしける。 ある時、迎西といふ聖のもとに寄り来たりけるに、聖、対面して「心のはるけ侍る法文、一言葉のたまはせよ」とねんごろに聞こえ侍れば、そばなる垣に朝顔の咲けるに、露の置て侍りけるに、折節風の吹きて、露の落ち侍りけるを見て、うち涙ぐみて、   見るやいかに朝にも咲る朝顔の花にさきだつ今朝の白露(しらつゆ) 「これこそ法文よ」とて、出で侍りぬ。その後は、いづちへか、さそらへ行きにけん、ふつと見え給はずとなん。 この聖のありさま、承はるこそ、ことに貴く思て侍れ。げに、あるにもあらぬ夢の世に、はかなくあだなる身に思ひをとどめて、山林にもこもりやらで、名利の心もはれざんめるに、ひたすら幻の世、仮の身をもて離れ、徳を隠して、乞食頭陀のありさまを示されけん心の中、まことに潔くぞ思え侍るぞ。昔のかしこき跡を見るにも、「一挙万里によぢて、徳を隠す」といへり。されば、いかなる智恵の心をおこせるにておはしけるやらん。かへすがへすも、ゆかしく侍り。 歌さへありがたく侍るぞや。朝顔の花をこそは、はかなきためしには申すめるに、花に先き立る白露、落ちてはさらに跡もなく、吹き過ぎぬる風、またとどまる所も見えず。花、また日影にしたがひてしぼみ、日、虚山に傾きぬ。あだなる世の中に、白駒も過ぎやすく、金烏もとどまりがたし。されば、なに((底本「侍」。諸本により訂正。))とて、しばしがほども、いたづらとして過ごせるぞや。 額にはすずろに老ひの波を重ね、眉には霜の積れるをもわきまへずして、はかなき嬰児の父母に貪ずるごとくにして、空しくはせ過ぎ、来世の苦しみを思へば、仏語にはあらずや。知り顔にして知らざるは、生死の無常に侍るぞかしな。「あはれ、この乞食の人の心のごとくなる思ひが、須臾ばかりつけかし」と思えて侍る。 このこと、江帥((大江匡房))の『往生伝』にしるし載せ給へり。見捨がたさに、たくみの言葉をいやしげに引なし侍るなり。見及ばざるにはあらず。かの記には、「平の京、東山のほとりにて、往生の素懐をとげぬ」と侍るを見るに、すずろに涙落ちて侍りき。 あはれ、かなしきわれらかな。十二因縁輪廻の輪、巡りて終なく、二十五有流転の緤、繰りて尽きず。前際、さだめて輪廻の郷より来り。後際、必ず妄想の宅に帰りて、互ひに愛網((愛網は底本「愛細」。諸本により訂正))を出でず。有情のために、あるいは父母となり、あるいは師弟となり、主従としてこれも着し、かれも貪じて、後れ先だつ時は、往因の酬ふところをも知り侍らで、ただ一世の悲しみと思ふ。紅涙、そのこととなく袂を染めて、わが後の世のありさまをも知らず。 まことに愚かなるに侍らずや。往時を春の夢かと思へば、別れ((「別」は底本「籠」。諸本により訂正。))のつらき((底本「つゝき」。諸本により訂正。))は、夢にもあらず。旧遊を谷の響きかと疑へば、古(いにしへ)の音は再び聞こえず。仲尼((孔子))、鯉に哭し、顔回、路を失ふ。上人もこの悲しみをまぬがれず。上代、その難を離れ侍らず。わが朝、実徳右将軍は少(をさ)なくして厳親に先立ち、京極大相国((藤原宗輔))、老ひて長嫡に哭しましましけん。時にとり、御身に当りて、「千万の恨み、唯一身にあり」とこそ、思しめし侍りけめ。 知るべし。無常はただ生死の家、あやまちあるは、これ分段の郷なり。しづかにこの理(ことはり)を思ひ解きて、額の波の寄りはてず、眉の霜の消えさる先に、後の世の勤めを励まし給へとなり。 ===== 翻刻 ===== 中比都のうちにいつくの物ともしられてさそふ僧侍り かしら面より始て足手とろかたにて気色浅増きか 肩またき物なんともきす筵薦なとうちきつつ人の 家に入て物を乞世を渡り侍るになん心はへのい/k10l みしくよくて又心たしかに侍り聊の本の枝なとも ぬしの許侍らねは取用わさも侍らさりしかは人あはれ みを垂て命をささゆるほとの事は侍りけるとかや或時 人の家によひ入て是きよとて帷を得させ侍りけれは 此僧の云様御志は返々も難有侍りかかるたより無もの は人の御憐みならては何とてか何時も侍るへき なれは便宜よく侍る時は是を給る但我等は筵こもを きなれてさやうの物を肩にかけ侍れは是はいとあたら しく侍るへけれは返奉り侍る唯筵こもなとのすて給へき 時侍らんそれらをは得させ給へきとてかへしけれはあるし/k11r おもかすにおほえておしてとらせ侍れとも思様侍りとて 露手にもかけねは無力てやみにけり物なとも凡多は くはす人のゑさせなんとするにも今日はたへぬれは無由 とてとらすそ侍りける後のためとてたくわうるわさも なし念仏申要文なと誦して思ひ入たるさまなれとも 法文のかたにはもて離たるさまをそしける或時迎 西と云聖の許により来けるに聖対面して心のはるけ 侍法文一こと葉の給はせよとねんころに聞え侍れは そはなるかきにあさかをの咲るに露の置て侍りける に折ふし風の吹て露の落侍りけるをみてうち/k11l 泪くみて みるやいかにあさにも咲る槿の花に咲立けさのしら露 是こそ法文よとて出侍りぬ其後はいつちへかさそらへ 行にけんふつとみえ給はすとなん此聖の有様承る こそ殊に貴く覚て侍れけにあるにもあらぬ夢の 世にはかなくあたなる身に思を留て山林にも 籠やらて名利の心もはれさんめるにひたすらまほ ろしの世かりの身をもて離徳をかくして乞食頭陀 の有様を示されけん心中実潔くそ覚侍そ昔の賢 跡をみるにも一挙万里によちて徳をかくすと/k12r 云りされは何なる智恵の心を発せるにておはしける やらん返々もゆかしく侍り哥さへ難有侍るそや槿 花をこそははかなきためしには申めるに花に先 立白露落ては更に迹もなく吹過ぬる風又ととまる 所もみえす花又ひかけに随てしほみ日虚山に傾き ぬあたなる世中に白駒もすきやすく金烏も難 留されは侍とてしはしか程もいたつらとして過せるそや 額にはすすろに老の波を重ね眉には霜のつもれ るをも弁へすしてはかなき嬰児の父母に貪す ることくにして空しくはせ過来世のくるしみをおもへは/k12l 仏語にはあらすや知かほにして不知は生死の無常に 侍るそかしな哀此乞食の人の心のことくなる思か須臾 はかり付かしと覚えて侍る此事江帥の往生伝に 注載給へりみ捨かたさにたくみの詞をいやしけに 引なし侍る也見およはさるには非す彼記には平の 京東山のほとりにて往生の素懐を遂ぬと侍るを みるにすすろに泪落て侍りき哀悲き我等かな 十二因縁輪廻の輪巡て無終二十五有流転の 緤繅て不尽前際定て輪廻の郷より来り後 際必妄想の宅に帰て互に愛細を不出有情/k13r 為に或は父母となり或は師弟となり主従として是も 着し彼も貪て後先たつ時は往因の酬所をも しり侍らて唯一世の悲と思ふ紅涙その事となく 袂を染て我後の世の有様をも不知実におろかなる に侍らすや往時を春の夢かと思へは籠のつつき は夢にもあらす旧遊を谷の響かと疑は古の音は 再不聞仲尼哭鯉顔回失路上人も此悲をまぬかれ す上代其難を離れ侍らす我朝実徳右将軍は少 して厳親に先たち京極大相国老て長嫡に哭 ましましけん時に取御身に当て千万の恨唯一身に/k13l 有とこそ思食侍りけめ可知無常は唯生死の家軼有 此分段之郷也閑に此理を思ひ解て額の波の寄 はてすまゆの霜の消さる先に後の世の勤をはけまし 給へとなり/k14r