無名抄 ====== 第81話 業平本鳥きらるる事 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 業平本鳥きらるる事 ** ある人いはく、「業平朝臣、二条の后の未だただ人におはしましけるとき、盗み取りて行きけるに、兄人(せうと)たちに取り返されたるよしいへり。この事、また『日本記式』にあり。ことざまは、かの物語にいへるがことくなるにとりて、迎ひ返しけるとき、兄人たち、その憤りを休め難くて、業平の朝臣の髻(もとどり)を切りてけり。しかあれど、誰(た)がためにもよからぬ事なれば、人も知らず、心一つにのみ思ひて過ぎけるに、業平朝臣、『髪生(お)ほさん』とて、籠りて居たりけるほど、『歌枕ども見ん』と数寄にことよせて東(あづま)の方(かた)へ行きにけり。陸奥国(みちのくに)に至りて、かそしま((諸本「やそしま(八十島)」))といふ所に宿りたりける夜、野の中に歌の上の句を詠ずる声あり。その詞にいはく、   秋風の吹くにつけてもあなめあなめ と言ふ。あやしく思えて、声を尋ねつつ、これを求むるに、さらに人なし。ただ死人の頭(かしら)一つあり。明くる朝(あした)になほこれを見るに、かの髑髏(どくろ)の目の穴より薄(すすき)なん一本(ひともと)生ひ出でたりける。その薄の風に靡(なび)く音のかく聞こえければ、あやしく思えて、あたりの人にこのことを問ふ。ある人、語りていはく、「小野小町、この国に下りて、この所して命終りにけり。すなはち、かの頭これなり」と言ふ。ここに業平、哀れに悲しく思えければ、涙を抑へつつ下の句を付けけり。(([[u_mumyosho082]]に続く)) ===== 翻刻 ===== 業平本鳥キラルル事 或人云業平朝臣二条のきさきのいまたたた 人におはしましけるときぬすみとりて/e80l ゆきけるにせうとたちにとりかへされたる よしいへりこの事又日本記式にありこと さまはかの物語にいへるかことくなるにとりて むかひかへしけるときせうとたちそのいきとを りをやすめかたくて業平の朝臣のもととり をきりてけりしかあれとたかためにもよから ぬ事なれは人もしらす心ひとつにのみおもひて すきけるに業平朝臣かみおほさんとて こもりてゐたりけるほと哥まくらともみん とすきにことよせてあつまのかたへゆきに/e81r けりみちのくににいたりてかそしまといふ所 にやとりたりけるよ野のなかに哥のかみ の句を詠するこゑありそのことはに云 あき風のふくにつけてもあなめあなめ といふあやしくおほえてこゑをたつねつつ これをもとむるにさらに人なしたた死人の かしらひとつありあくるあしたになをこれを みるにかのとくろのめのあなよりすすきなん ひともとおひいてたりけるそのすすきの風 になひくおとのかくきこえけれはあやしく/e81l おほえてあたりの人にこのことをとふ或人 かたりて云をののこまちこの国にくたりて この所して命をはりにけりすなはち かのかしらこれなりと云ここに業平あはれに かなしくおほえけれはなみたををさへつつ下の 句をつけけり/e82r