無名抄 ====== 第71話 近代歌体 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 近代歌体 ** ある人、問ひていはく、「このごろ人の歌ざま、二面に分かれたり。中ごろの体を執する人は、今の世の歌をばすずろごとのやうに思ひて、やや達磨宗などいふ異名を付けて、そしり嘲(あざけ)る。また、このごろやうを好む人は、中ごろの体をば、『俗に近し、見所なし』と嫌ふ。やや宗論の類(たぐひ)にて、事切るべくもあらず。末学のため、是非に惑ひぬべし。いかが心得べき」といふ。 ある人、答へていはく、「これは、この世の歌仙の大きなる争ひなれば、たやすくいかが定めん。ただし、人の習ひ、月星の行度をもさとり、鬼神の心をも推し量るものなれば、おぼつかなくとも、心の及ぶほど申し侍らむ。また、思はれんに従ひてことはらるべし。大方、この事を、人の水火のごとく思へるが、心も得ず思え侍るなり。すべて歌のさま、世々に異なり、昔は文字の数も定まらず、思ふさまに口に任せて言ひけり。かの出雲八重垣(いづもやへがき)の歌よりこそは、五句三十文字(みそもじ)に定まりにけれど、万葉のころなどまでは、なほ懇(ねんご)ろなる心ざしを述ぶばかりにて、あながちに姿・詞を選ばざりけるにやとみえたり。中ごろ、古今の時、花実ともに備はりて、そのさままちまちに分かれたり。後撰には、よろしき歌、古今に取り尽されて後いくほども経ざりければ、歌得がたくして、姿をば選ばず。ただ、心を先とせり。拾遺のころより、その体、ことの外に物近くなりて、理(ことわり)くまなく現はれ、姿、素直(すなほ)なるをよろしとす。その後、後拾遺の時、今少しやはらぎて((底本「やらはきて」。諸本により訂正))、昔の風を忘れたり。『やや、その時の古き人などは、これをうけざりけるにや。『後拾遺姿』と名付けて、口惜しきことにしける』とぞ、ある先達語り侍りし。金葉は、また、わざともをかしからんとして、軽々なる歌多かり。詞花・千載、大略、後拾遺の風なるべし。歌の昔より伝はり来たれるやう、かくのごとし。かかれば、拾遺より後、その様一つにして、久しくなりにける故に、風情やうやう尽き、詞(ことば)世々に古(ふ)りて、この道時に従ひて衰へゆく。昔は、ただ花を雲にまがへ、月を氷に似せ、紅葉を錦に思ひ寄する類(たぐひ)ををかしきことにせしかど、今はその心言ひ尽して、雲の中に様々の雲を求め、氷にとりてめづらしき意こ((意に「イ」と傍書。意味不明だが、諸本に異同が多いため、そのままにした。諸本、「心ばかり(静嘉堂文庫本)」「心(内閣文庫本)」「意々(東京大学付属図書館本)」「糸(書陵部本)」「ふし(蓬左文庫本)」など。異同は日本古典文学大系の校異による。))を添へ、錦に異る節を尋ね、かやうに安からずたしなみて思ひ得れば、めづらしき節は難(かた)くなりゆく。まれまれ得たれども、昔をへつらへる意こ((「意」に「イ」と傍書がある。諸本、「心(静嘉堂文庫本)」「心こ(内閣文庫本)」など。異同は日本古典文学大系の校異による。))どもなれば、いやしく、くだけたる様なり。いはんや、詞(ことば)に至りては、いひ尽してければ、めづらしき詞もなく、目止る節もなし。異なる秀逸ならねば、五七五を詠むに、七七は空に推し量らるるやうなり。ここに今の人、歌の様の世々に詠み古されにけることを知りて、さらに古風に返りて、幽玄の体、なほ学ぶことの出で来たるなり。これによりて、中古の流れを習ふ輩(ともがら)、目を驚かして、謗(そし)り嘲(あざけ)る。しかあれど、まことには、心ざしは一つなれば、上手と秀歌とは、いづ方にも背かず。いはゆる清輔・頼政・俊恵・登蓮などか詠み口をば、今の世の人も捨て難くす。今様姿の歌の中にも、よく詠みつるをば、謗家ども謗ることなし。えせ歌どもに至りては、またいづれもよろしからず。中ごろのさしもなき歌を、この世の歌に並べてみれば、化粧(けさう)したる人の中に、尼顔(あまがほ)にて交はるに異ならず。今の世の、いとも詠みおほせぬ歌は、あるいは全て心得られず。あるいは悪気はなはだし。されば、一方に偏執すまじきことにこそ」。 問ひていはく、「今の世の体をば、新しく出で来たるやうに思へるは、僻事(ひがごと)にて侍るか」。 答へていはく、「この難はいはれぬことなり。たとひ新しく出で来たりとても、必ずしもわろかるべからず。唐土(もろこし)には限りある((底本「かりある」。諸本により訂正))文体だにも、世々に改まるなり。この国の小国にて、人の心ばせの愚かなるにより、もろもろのことを昔に違へじとするにてこそ侍れ。まして、歌は心ざしを述べ、耳を悦ばしめむためなれば、時の人のもてあそび、好まんに過ぎたる事やは侍るべき。いかにいはんや、さらにさらに今たくみ出でたることにあらず。万葉まではこと遠し。古今の歌どもをよくも見分かぬ人の、この難をばし侍るなり。かの集の中に、様々の体あり。しかあれば、中古の姿も古今より出でたり。この幽玄の様もこの集より出でたり。たとひ、今の姿を詠み尽して、また改まる世ありとも、ざれごと歌などまでも漏らさず選び載せたれば、なほかの集をば出づべからず。これを一向に耳遠く思ひて謗り卑しむは、ひとへに中古の歌の様に対せられたるなり」。 問ひていはく、「この二つの体、いづれか詠みやすく、また秀歌をも得つべき」。 答へていはく、「中ごろの体は、学びやすくして、しかも秀歌は難かるべし。詞(ことば)古りて、しかも風情ばかりを詮とすべき故なり。今の体は、習ひ難くて、よく心得つれは詠みやすし。その様めづらしきにより、姿と心とに渡りて興あるべき故なり」。 問ひていはく、「聞くがごとくならば、いづれも良きは良し、悪(わろ)きは悪(わろ)かなり。学者はまた、我も我もと争ふ。いかがして、その勝劣をば定むべき」。 答へていはく、「必ず勝劣を定むべきことかは。ただ、いづ方にもよく詠めるをよしと知りてこそは侍らめ。ただし、寂蓮入道申すこと侍りき。『この争ひ、やすくこと切るべきやうあり。その故は、手を習ふも、『劣りの人の文字はまねびやすく、我より上りざまの人の手跡は習ひ似すること難し』といへり。しかあれば、『我らが詠むやうに詠め』と言はんには、季経卿・顕昭法師などいへる((「いへる」は諸本「いくか(幾日)」。底本は「る」と「案」の間に一字分程度の空白がある。))、案ずとも、えこそ詠まざらめ。我はかの人々の詠むやうには、ただ筆さし濡らして、いとよく書きてん。さてこそことは切らめ」とぞ申されし。人のことは知らず。身にとりては、中ごろの人々、あまたさし集まりて侍りし会に連なりて、人の歌どもを聞きしには、わが思ひ至らぬ風情はいと少なかりき。『わが続けたりつるよりは、これはよかりけり』など思ゆることこそありしかど、いささかも心のめぐらぬことは有り難くなん侍りし。しかあるを、御所の御会につかうまつりしには、ふつと思ひも寄らぬことをのみ、人ごとに詠まれしかば、『この道ははやく底もなく、際(きは)もなきことになりにけり』と、怖しくこそ思え侍りしか。されば、いかにもこの体を心得る事は、骨法ある人の境(さかひ)に入り、峠を越えて後、あるべきことなり。それすらなほ、し外(はづ)せば、聞きにくきこと多かり。いはんや、風情足らぬ人の、未(いま)だ峰まで登りつかずして、推し量りにまねびたる、さるかたはらいたきことなし。化粧(けさう)をばすべきことと知りて、あやしの賤(しづ)の女(め)などが、心にまかせて物ども塗り付けたらんやうにぞ思え侍りし。かやうの類(たぐひ)は、我とはえ作り立てず。人の詠み捨てたる詞を拾ひて、その様をまねぶばかりなり。いはゆる『露さびて』『風吹けて』『心の奥』『あはれの底』『月の有明』『風の夕暮』『春のふるさと』など、始めめづらしく詠める時こそあれ、再びともなれば、念もなきことぐせどもをぞ僅(わづ)かにまねぶめる。或(ある)はまた、おぼつかなく心こもりて詠まんとするほどに、果てにはみづからもえ心えず、違はぬ。また、無心所着になりぬ。かやう列(つら)の歌、幽玄の境にはあらず。げに、達磨(だるま)ともこれらをぞいふべき」。 問ひていはく、「ことの趣(おもむき)はおろおろ心得侍りにたり。その幽玄とかいふらむ体に至りてこそ、いかなるべしとも心得難く侍れ。そのやうを承はらん」と言ふ。 答へていはく、「すべて歌((底本、脱文あるか。諸本、「歌」の次に「姿は得にくきことにこそ。古き」と続く。))、口伝・髄脳などにも、難き事どもをば手を取りて教ふばかりに尺したれど、姿に至りて、確かに見えたる事なし。いはんや幽玄の体、まづ名を聞くより惑ひぬべし。みづからも、いと心得ぬことなれば、定かに『いかに申すべし』とも思え侍らねど、よく境に入れる人々の申されし趣は、詮はただ、詞(ことば)に現はれぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし。心にもことはり深く、詞にも艶極まりぬれば、これらの徳はおのづから備はるにこそ。たとへば、秋の夕暮の空の気色は、色も無く声も無し。いづくにいかなる故あるべしとも思えねど、すずろに涙こぼるるがごとし。これを心なき列(つら)の者は、さらにいみじと思はず。ただ目に見ゆる花・紅葉をぞ、めで侍る。また、よき女の、恨めしき((「恨」底本「浦」))ことあれど、言葉に現はさず、深く忍びたる気色を、さよとほのぼの見付けたるは、言葉を尽して恨み((「恨」底本「浦」))、袖を絞りて見せんよりも、心ぐるしうあはれ深かかるべきがごとし。これまた、幼き者などは、細々(こまごま)と言はすより外に、いかでか気色を見て知らん。すなはち、この二つの譬へにて、風情少なく、心浅からん人の、悟り難きことをば知りぬべし。また、幼き子のらうたきが、片言(かたこと)して、そことも聞こえぬ事言ひゐたるは、はかなきにつけても、いとほしく聞きどころあるに似たることも侍るにや。これらをば、いかでかたやすくまねびもし、定かに言ひもあらはさむ。ただ、みづから心得べきことなり。また、霧の絶え間より、秋の山を眺むれば、見ゆる所はほのかなれど、奥ゆかしく、『いかばかり紅葉わたりて面白からむ』と限りなく推し量らるる面影は、ほとほと定かに見んにも優れたるべし。すべては心ざし詞(ことば)に現はれ、月を『隈(くま)なし』といひ、花を『妙(たへ)なり』と讃めむ事は、何かは難からん。いづくかは、歌のただ物いふに勝る徳とせん。一詞(ひとことば)に多くのことはりを込め、現はさずして、深き心ざしを尽し、見ぬ世の事を面影に浮べ、賤しきを借りて優を現はし、愚かなるやうにて、妙なる詞を極むればこそ、心も及ばず、詞も足らぬ時、これにて思ひを述べ、わづかに三十一字がうちに、天地(あめつち)を動かす徳を具し、鬼神をなごむる術にては侍れ」。 ===== 翻刻 ===== 近代哥体 或人問云この比人の哥さま二面にわかれたり中比の 体を執する人は今の世の哥をはすすろことのや うにおもひてややたるま宗なといふ異名をつけ てそしりあさける又この比やうをこのむ人は中比 の体をは俗にちかしみ所なしときらふやや宗論/e60l のたくひにて事きるへくもあらす末学のため 是非にまとひぬへしいかか心うへきといふ 或人答云これはこの世の哥仙のおほきなるあらそ ひなれはたやすくいかかさためんたたし人のならひ 月ほしの行度をもさとりをに神の心をもをし はかる物なれはおほつかなくとも心のおよふほと申 侍らむ又おもはれんにしたかひてことはらるへし おほかたこの事を人の水火のことくおもへるか心も ゑすおほえ侍也すへて哥のさま世々にことなり むかしは文字のかすもさたまらすおもふさま/e61r に口にまかせていひけりかのいつもやへかきの うたよりこそは五句みそもしにさたまりにけれ と万葉の比なとまてはなをねんころなる心さしを のふはかりにてあなかちにすかたことはをゑらはさり けるにやとみえたり中比古今の時花実とも にそなはりてそのさままちまちにわかれたり後撰 にはよろしき哥古今にとりつくされてのちいく ほともへさりけれは哥ゑかたくしてすかたをはゑら はすたた心をさきとせり拾遺の比よりその体こ とのほかに物ちかくなりてことはりくまなくあ/e61l らはれすかたすなをなるをよろしとすそのの ち後拾遺のとき今すこしやらはきてむかしの 風をわすれたりややそのときのふるき人なと はこれをうけさりけるにや後拾遺すかたとな つけてくちをしきことにしけるとそある先 達かたり侍し金葉は又わさともをかしからん として軽々なる哥おほかり詞花千載大略 後拾遺の風なるへし哥のむかしよりつたはり きたれるやうかくのことしかかれは拾遺よりのち そのさまひとつにしてひさしくなりにけるゆへに/e62r 風情やうやうつきことは世々にふりてこのみち時に したかひておとろへゆくむかしはたた花を雲に まかへ月をこほりににせもみちをにしきにおもひ よするたくひをおかしきことにせしかと今はその 心いひつくして雲のなかにさまさまの雲をもとめ こほりにとりてめつらしき意(イ)こをそへにしきにこ となるふしをたつねかやうにやすからすたしなみて おもひうれはめつらしきふしはかたくなりゆく まれまれゑたれともむかしをへつらへる意(イ)こともな れはいやしくくたけたるさまなりいはんやこと/e62l はにいたりてはいひつくしてけれはめつらしき ことはもなくめとまるふしもなしことなる秀 逸ならねは五七五をよむに七七はそらにをし はからるるやうなりここに今の人哥のさまの 世々によみふるされにけることをしりてさらに 古風にかへりて幽玄の体なをまなふことの いてきたるなりこれによりて中古のなかれを ならふともからめををとろかしてそしりあさける しかあれとまことには心さしはひとつなれは上手 と秀哥とはいつかたにもそむかすいはゆる清輔/e63r 頼政俊恵登蓮なとかよみくちをは今の世の人も すてかたくすいまやうすかたのうたのなかにも よくよみつるをは謗家ともそしることなし ゑせ哥ともにいたりては又いつれもよろしからす なかころのさしもなき哥をこの世の哥にならへて みれはけさうしたる人のなかにあまかほにてまし はるにことならす今の世のいともよみおほせぬ哥 は或はすへて心えられす或は悪気はなはたし されは一方に偏執すましきことにこそ 問云今の世の体をはあたらしくいてきたるやうに/e63l おもへるはひかことにて侍か 答云この難はいはれぬこと也たといあたらしく いてきたりとてもかならすしもわろかるへからすもろ こしにはかりある文体たにも世々にあらたま る也このくにの小国にて人の心はせのをろか なるによりもろもろのことを昔にたかへしと するにてこそ侍れまして哥は心さしをのへ みみをよろこはしめむためなれはときの人の もてあそひこのまんにすきたる事やは侍へき いかにいはんやさらにさらに今たくみいてたることにあらす/e64r 万葉まてはこととをし古今の哥ともをよ くもみわかぬ人のこの難をはしはへる也かの集 のなかにさまさまの体ありしかあれは中古のすか たも古今よりいてたりこの幽玄のさまもこの 集よりいてたりたとい今のすかたをよみつくし て又あらたまる世ありともされことうたなとま てももらさすゑらひのせたれはなをかの集をは いつへからすこれを一向に耳とをくおもひてそし りいやしむはひとへに中古の哥のさまに 対せられたる也/e64l 問云このふたつの体いつれかよみやすく又秀哥を もゑつへき 答云なかころの体はまなひやすくしてしかも 秀哥はかたかるへしことはふりてしかも風情 はかりを詮とすへきゆへなり今の体はならひかた くてよく心えつれはよみやすしそのさまめつらし きによりすかたと心とにわたりて興あるへきゆへ也 問云きくかことくならはいつれもよきはよしわろきは わろかなり学者は又われもわれもとあらそふいかかして その勝劣をはさたむへき/e65r 答云かならす勝劣をさたむへきことかはたたいつ方 にもよくよめるをよしとしりてこそは侍らめたたし 寂蓮入道申こと侍きこのあらそひやすくことき るへきやうありそのゆへは手をならふもおとりの 人の文字はまねひやすくわれよりあかりさまの 人の手跡はならひにすることかたしといへりしかあれ はわれらかよむやうによめといはんには季経卿顕昭法師 なといへる□あんすともゑこそよまさらめわれはかの人々 のよむやうにはたたふてさしぬらしていとよくかきてん さてこそことはきらめとそ申されし人のことは/e65l しらす身にとりてはなかころの人々あまたさし あつまりて侍し会につらなりて人の哥ともを ききしにはわかおもひいたらぬ風情はいとすくなか りきわかつつけたりつるよりはこれはよかりけり なとおほゆることこそありしかといささかも心のめく らぬことはありかたくなん侍ししかあるを御所の 御会につかうまつりしにはふつと思ひもよらぬこと をのみ人ことによまれしかはこのみちははやくそこ もなくきはもなきことになりにけりとをそろし くこそおほえ侍しかされはいかにもこの体を心/e66r うる事は骨法ある人のさかひに入りたうけを こえてのちあるへきことなりそれすらなをしはつ せはききにくきことおほかりいはんや風情たらぬ人 のいまたみねまてのほりつかすしてをしはかり にまねひたるさるかたはらいたきことなしけさう をはすへきこととしりてあやしのしつのめなとか心に まかせて物ともぬりつけたらんやうにそおほえ 侍しかやうのたくひはわれとはゑつくりたてす 人のよみすてたることはをひろひてそのさまを まねふはかり也いはゆる露さひて風ふけて/e66l 心のをくあはれのそこ月のありあけ風のゆふくれ 春のふるさとなとはしめめつらしくよめる時こそ あれふたたひともなれは念もなきことくせともを そわつかにまねふめるあるは又おほつかなく心こもり てよまんとするほとにはてにはみつからもゑ心え すたかはぬ又無心所着になりぬかやうつらの哥 幽玄のさかひにはあらすけにたるまともこれら をそいふへき 問云ことのおもむきはおろおろ心え侍りにたりその 幽玄とかいふらむ体にいたりてこそいかなるへし/e67r とも心えかたく侍れそのやうをうけ給はらんといふ 答云すへて哥口伝髄脳なとにもかたき事ともをは 手をとりてをしふはかりに尺したれとすかたに いたりてたしかにみえたる事なしいはんや幽玄の 体まつ名をきくよりまとひぬへしみつからもいと心え ぬことなれはさたかにいかに申へしともおほえ侍らねと よくさかひにいれる人々の申されしをもむきは 詮はたたことはにあらはれぬ余情すかたにみえぬ 景気なるへし心にもことはりふかく詞にも 艶きはまりぬれはこれらの徳はをのつからそな/e67l はるにこそたとへはあきのゆふくれのそら のけしきは色もなく声もなしいつくに いかなるゆへあるへしともおほえねとすすろになみ たこほるるかことしこれを心なきつらの物はさら にいみしとおもはすたためにみゆる花紅葉を そめて侍又よき女の浦めしきことあれとこと 葉にあらはさすふかくしのひたるけしきを さよとほのほのみつけたるはことはをつくして 浦み袖をしほりて見せんよりも心くるし うあはれふかかるへきかことしこれ又おさなき/e68r 物なとはこまこまといはすよりほかにいかてかけし きを見てしらんすなはちこのふたつのたとへ にて風情すくなく心あさからん人のさとりかた きことをはしりぬへし又おさなき子のらうた きかかたことしてそこともきこえぬ事いひゐたる ははかなきにつけてもいとをしくききところあるに にたることも侍にやこれらをはいかてかたやすくま ねひもしさたかにいひもあらはさむたたみつから 心うへきこと也又きりのたへまより秋の山を なかむれはみゆる所はほのかなれとおくゆかしく/e68l いかはかりもみちわたりておもしろからむとかき りなくをしはからるるおもかけはほとほとさたかに みんにもすくれたるへしすへては心さしことは にあらはれ月をくまなしといひ花をたへなりと ほめむ事はなにかはかたからんいつくかは哥のたた 物いふにまさる徳とせんひとことはにおほくのこ とはりをこめあらはさすしてふかき心さしを つくし見ぬ世の事をおもかけにうかへいやし きをかりて優をあらはしをろかなるやうにて たえなることはをきはむれはこそ心もおよはす詞/e69r もたらぬ時これにておもひをのへわつかに三十一字 かうちにあつちをうこかす徳をくしをに神を なこむる術にては侍れ/e69l