無名抄 ====== 第68話 会歌に姿分つ事 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 会歌にすがたわかつ事 ** 御所に朝夕候ひしころ、常にも似ず珍しき御会ありき。 「六首の歌にみな姿を詠み変へて奉れ」とて、「春・夏は太く大きに、秋・冬は細く枯らび、恋・旅は艶に優しくつかうまつれ。これ、もし思ふやうに詠み仰せずは、其の由(よし)をありのままに申し上げよ。歌の様(さま)知れるほどを御覧ずべきためなり」と仰せられたりしかば、いみじき大事にて、かたへは辞退す。心にくからぬほどの人をば、またもとより召されず。かかれば、まさしくその座に参り連なれる人、殿下((藤原良経))・大僧正御房((慈円))・定家・家隆・寂蓮・予、わづかに六人ぞ侍りし。 愚詠に、太く大きなる歌に、   雲さそふ天(あま)つ春風薫るなり高間の山の花ざかりかも   打ち羽ぶき今も鳴かなんほととぎす卯の花月夜さかり更けゆく 細く枯らびたる歌、   宵(よひ)の間も月の桂の薄紅葉(うすもみぢ)照るとしもなき初秋(はつあき)の空   寂しさはなほ残りけり跡絶ゆる落葉が上に今朝は初雪 艶に優しき歌、   忍ばずよ絞(しぼ)りかねつと語れ人もの思ふ袖の朽ち果てぬ間に   旅衣立つ暁(あかつき)の別れよりしをれしはてや宮城野の露 ===== 翻刻 ===== 会哥ニスカタワカツ事 御所にあさゆふ候し比つねにもにすめつらしき御会 ありき六首の哥にみなすかたをよみかへてたてま つれとて春夏はふとくおほきに秋冬はほそく からひ恋旅はゑんにやさしくつかうまつれこれ/e54l もしおもふやうによみおほせすは其のよしをあり のままに申あけよ哥のさましれるほとを御覧 すべきためなりとおほせられたりしかはいみしき 大事にてかたへは辞退す心にくからぬほとの人をは又 もとよりめされすかかれはまさしくその座にまい りつらなれる人殿下大僧正御房定家家隆 寂蓮予わつかに六人そ侍し愚詠にふとくおほきなる哥に 雲さそふあまつはるかせかほるなり たかまの山の花さかりかも/e55r うちはふき今もなかなんほとときす うの花月よさかりふけゆく ほそくからひたる哥 よひのまも月のかつらのうすもみち てるとしもなきはつあきの空 さひしさはなをのこりけりあとたゆる おちはかうへにけさははつゆき ゑんにやさしき哥 しのはすよしほりかねつとかたれ人 物おもふ袖のくちはてぬまに/e55l 旅衣たつあかつきのわかれより しほれしはてやみやきのの露/e56r