無名抄 ====== 第48話 静縁こけうたよむ事 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 静縁こけうたよむ事 ** 静縁法師、みづからが歌を語りていはく、「   鹿の音(ね)を聞くにわれさへ泣かれぬる谷の庵は住み憂かりけり とこそつかうまつりて侍れ。いかが侍る」と言ふ。 予がいはく、「よろしく侍り。ただし『泣かれぬる』といふ詞(ことば)こそ、あまりこけ過ぎて、いかにぞや思え侍れ」と言ふを、静縁法師いはく、「その詞をこそこの歌の詮とは思ひ給ふるに、この難はことの外にこそ思え侍る」とて、「いみじく悪(わろ)く難ずる」と思ひげにて去りぬ。 「よしなく思ゆるままに物を言ひて、心すべかりけることを」と悔(くや)しく思ふほどに、十日ばかりありて、また来たりて言ふやう、「一日の歌、難じ給ひしを、隠れごとなし、心得ず思ひ給へて、いぶかしく思え侍りしままに、さはいふとも、『大夫公のもとに行(ゆ)きてこそ、わが僻事(ひがごと)は切らめ((「わが」以下、諸本「わが僻事を思ふか、人の悪しく難じ給ふか、ことは切らめ」。一行脱落か。))』と思ひて、行きて語り侍りしかば、『なでう御房(みはう)のかかるこけ哥詠まるるぞとよ。『泣かれぬる』とは何ごとぞ。さまでなの心根や』となん、はしたなめられて侍りし。されば、よく難じ給ひけり。我悪しく心得たりけるぞ。おこたり申しにまうでたるなり」と言ひて、帰り侍りにき。 心の清さこそありがたく侍れ。 ===== 翻刻 ===== 静縁コケウタヨム事 静縁法師みつからか哥をかたりていはく しかのねをきくにわれさへなかれぬる たにのいほりはすみうかりけり/e40l とこそつかうまつりて侍れいかか侍といふ予か云 よろしく侍りたたしなかれぬるといふことはこそ あまりこけすきていかにそやおほえ侍れといふ を静縁法師云そのことはをこそこの哥の詮とは 思給ふるにこの難はことの外にこそおほえ侍とて いみしくわろく難するとおもひけにてさりぬ よしなくおほゆるままに物をいひて心すへかり けることをとくやしくおもふほとに十日はか りありて又きたりていふやう一日の哥難し 給しをかくれことなし心えすおもひ給へていふか しくおほえ侍しままにさはいふとも大夫公の/e41r もとにゆきてこそ我ひか事はきらめと思て ゆきてかたり侍しかはなてうみはうのかかる こけ哥よまるるそとよなかれぬるとはなにことそ さまてなの心ねやとなんはしたなめられて侍し されはよく難し給けり我あしく心えたりけるそ をこたり申にまうてたるなりといひてかへり侍にき 心のきよさこそありかたく侍れ/e41l