無名抄 ====== 第32話 腰句の終のて文字難事 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 腰句の終のて文字難事 ** またいはく、「雲居寺(うんごじ)の聖のもとに、秋の暮の心を、 俊頼朝臣   明けぬともなを秋風の訪づれて野辺の気色よ((底本「けしきを」))面変(おもがは)りすな 名を隠したりけれど、これを「さよ」と心得て、基俊いどむ人にて、難じていはく、『いかにも、歌は腰の句の末に、て文字据ゑつるに、はかばかしきことなし。支(ささ)へて、いみじう聞きにくきものなり』と、口くち開かすべくもなく難ぜられければ、俊頼はともかくも言はざりけり。その座に伊勢の君琳賢がゐたりけるなん、『異(こと)やうなる証歌こそ、一つ覚え侍れ』と言ひ出でたりければ、『いでいで、承はらむ。よも、ことよろしき歌にはあらじ』と言ふに、   桜散る木の下風は寒からで と、果てのて文字を長々と長めたるに、色真青(まさを)になりて、物も言はずうつぶきたりける時に、俊頼朝臣は忍びに笑はれけり」 ===== 翻刻 ===== 腰句ノ終ノテ文字難事 又云雲居寺のひじりのもとに秋のくれの心を 俊頼朝臣 あけぬともなをあきかせのをとつれて 野辺のけしきをおもかはりすな/e28l 名をかくしたりけれとこれをさよと心えて基俊 いとむ人にて難云いかにも歌はこしの句のすゑ にて文字すゑつるにはかはかしきことなし ささへていみしうききにくき物なりとくちあかす へくもなく難せられけれは俊頼はともかくも いはさりけりその座に伊勢のきみ琳賢か ゐたりけるなんことやうなる証歌こそひとつ おほえ侍れといひいてたりけれはいていてうけたま はらむよもことよろしき歌にはあらしといふに さくらちるこのした風はさむからてとはての/e29r て文字をなかなかとなかめたるに色まさをに なりて物もいはすうつふきたりける時に俊頼 朝臣はしのひにわらはれけり/e29l