無名抄 ====== 第18話 関の清水 ====== ===== 校訂本文 ===== ** 関の清水 ** ある人いはく、「逢坂の関の清水といふは、走り井と同じ水ぞと、なべて人知り侍るめり。しかにはあらず。清水は別の所にあり。今は水も無ければ、そことも知れる人だになし。三井寺に円実房の阿闍梨(あざり)といふ老僧、ただ一人その所を知れり。かかれど、『さる跡や知りたる』と尋ぬる人もなし。『我死なん後は、知る人もなくてやみぬべきこと』と、人に会ひて語りけるよし伝へ聞きて、彼の阿闍梨知れる人の文を取りて、建暦の始めの年、十月廿日あまりのころ、三井寺へ行きて阿闍梨対面(たいめ)して、『かやうに古きことを聞かまほしうする人も難(かた)く侍るめるを、珍しくなむ。いかでかしるべつかまつらざらむ』とて、伴ひて行く。関寺より西へ二三丁ばかり行きて、道より北の面(つら)に、少し立ち上がれる所に、一丈ばかりなる石の塔(たう)あり。その塔の東へ、三段ばかり下りて、窪(くぼ)なる所はすなはち昔の関の清水の跡なり。道よりも三段ばかりや入りたらん。今は小家(こいへ)の後(しりへ)になりて、当時は水の無くて、見所もなけれど、昔の名残、面影に浮かびて、優(いう)になん思え侍りし。阿闍梨語いはく、『この清水に向かひて、水より北に、薄檜皮(うすひわだ)葺(ふ)きたる家、近くまで侍りけり。誰人の住み家(すみか)とは知らねど、いかにもただ人の居所にはあらざりけるなめり』とそ語り侍し。 ===== 翻刻 ===== 関ノ清水 或人云あふさかのせきのしみつと云ははしり井と をなし水そとなへて人しり侍めりしかにはあらす し水は別の所にあり今は水もなけれはそことも/e21r しれる人たになし三井寺に円実房の阿闍 梨といふ老僧たたひとりその所をしれりかかれと さるあとやしりたるとたつぬる人もなしわれしなん 後はしる人もなくてやみぬへきことと人にあひて かたりけるよしつたへききて彼阿闍梨しれる人 のふみをとりて建暦のはしめのとし十月廿日 あまりの比三井寺へゆきてあさりたいめして かやうにふるきことをきかまほしうする人もかたく 侍めるをめつらしくなむいかてかしるへつかまつらさら むとてともなひてゆくせきてらより西へ二/e21l 三ちやうはかりゆきてみちよりきたのつらに すこしたちあかれる所に一丈はかりなる石のた うありそのたうの東へ三段はかりくたりてくほ なる所はすなはちむかしのせきのし水の あと也みちよりも三段はかりや入たらん今は こいへのしりえになりてたうしは水のなくて み所もなけれと昔の名残おもかけにうかひて いふになんおほえ侍し阿闍梨語云このし水に むかひて水より北にうすひわたふきたる 家ちかくまて侍けりたれ人のすみかとは/e22r しらねといかにもたた人のゐ所にはあらさりける なめりとそかたり侍し/e22l